総論

賀川記念館が神戸市から「市民福祉功労賞を受賞」

昭和38年に、賀川豊彦献身50年を記念して、社会福祉法人イエス団発祥の地に、(賀川記念館)設立された。以降、「セツルメント事業の根本原理は人格交流運動である」という理念を基本に、相談事業、学童保育や老人給食サービスなどの様々な地域福祉活動を先…

謹賀新年

あけましておめでとうございます。 昨年は賀川豊彦献身100年記念でお世話になりました。献身100年記念事業はほぼ終了し、神戸プロジェクトはこの先100年を目指したスタートを切りました。東京プロジェクトは3月末まで続きます。なんと今年は「賀川豊彦没後5…

三ノ宮の賀川記念館が竣工

賀川豊彦の理念を継承し、多彩な事業を展開する「賀川記念館」が1日、神戸市中央区吾妻通5に完成した。旧記念館が築後45年を経て老朽化したこともあり、賀川が神戸で救貧活動を始めて100年になるのを機に建て替えた。 鉄筋5階建てで、1階は貸室、2、3…

賀川豊彦とアリスメンディアリエータとセカンドリーグ

13日に続いて、ブログ紹介。今日は」イッセーブログ」。最近、上質の賀川論がブログに次々と登場しているのはうれしいことだ。 賀川豊彦献身100年記念事業は2月にスタートした。東京と神戸にプロジェクト実行委員会が立ち上がったが、その後、徳島と奈良で…

貰わなくてよかったノーベル平和賞

週末たまたま「i君は名もなきイエスに頭を下げるや」というブログに出合った。「ノーベル平和賞より大きいか小さいか・・・・・賀川豊彦牧師 」という15日の書き込みに、賀川豊彦について「(ノーベル平和賞を受賞していれば)、後の人は貰うのに気が引ける…

色あせぬ友愛・互助・平和 山折哲雄 【朝日新聞】

敗戦直後のころ、賀川豊彦の『死線を越えて』を読んで夢中になったことが忘れられない。スラムにのりこんだ主人公が、悪戦苦闘のすえ庶民の心にとけこみ、しだいに社会運動めざめていく健気な生き方が、賀川自身の体験にもとづいて生き生きと描かれていた。 …

山折哲雄氏 「神とひとつ」信仰 再評価を

賀川豊彦といっても、若い世代にはもう無名に近い存在になっているのではないか。それがいささか淋(さび)しい。敗戦直後、かれの「死線を越えて」を読んで、全身が震えるような感動を覚えたことが忘れられない。 貧民窟(くつ)にのりこんだ主人公が悪戦苦…

プラティープさんの『体験するアジア』−1日1バーツ学校

プラティープさんは16歳のとき、クロントイ・スラムで「1日1バーツ学校」を始めた。「住んでいた家の庭先を使って私塾を開くことにしました。先生にあこがれていたこともあったのですが、自分の生活を支えるためでもありました。いや、それよりも、私たち…

地球ブランドの賀川豊彦

6月22日、香川大学で学生に賀川豊彦を講義することになった。セカンドハンドの新田恭子さんの手引きで実現したが、学生がどれだけ関心を示してくれるか期待と不安でいっぱいというのが正直なところである。 さて何から話をしようか。 四国の偉人で知って…

徳島で生まれた子どもたちによる賀川ソング

賀川豊彦献身100年記念事業の一環として徳島県で「子どもたちのために歩こう! 〜私たちの一食分を世界の子どもたちへ〜」のテーマソングの歌詞が募集され、最優秀作品として「歩こうよまほろばの道」と「子どもたちのために歩こう!」の以下の2編が選ば…

徳島プロジェクト実行委員会がスタート

6月13日、徳島県鳴門市の鳴門市賀川豊彦記念館で「賀川豊彦献身100年記念事業徳島プロジェクト実行委員会」の設立総会が開催された。10月10日に県民フォーラムを開催するほか、「死線を越えて」1万人上映運動、賀川豊彦社会基金(賀川ファンド)…

高まる賀川豊彦に関する関心 Think Kagawaのアクセスは1000/日

賀川豊彦が月刊誌「家の光」に連載した協同組合小説『乳と蜜の流るる郷』が8月末、家の光協会から復刻されることが固まった。嬉しいニュースだ。昨年、三河で自主出版された『一粒の麦』以来、『死線を越えて』(PHP研究所)、『空中征服』(不二出版)…

賀川豊彦先生、クラーク博士、ヘップバーン 李根民

韓国の大邱新聞オピニオン欄で李根民氏 (大邱大学校リハビリ科学大学教授)が賀川豊彦に言及している。韓国では意外と賀川豊彦が知られているのかもしれない。神戸のイエス団や東京の松沢資料館に韓国人団体の訪問が増えており、賀川の著書のハングル訳も少な…

賀川豊彦「死線を越えて」を読む 少老朋友

少老朋友さんのブログ「コラボ・コープOB」に「賀川豊彦『死線を越えて』を読む」と題したコラムが掲載されている。正月2日には「経済・社会の危機と生協ー賀川豊彦なら?」を書いています。 http://collabo70.blog60.fc2.com/blog-entry-90.html 先に湯浅…

英知大学長 岸英司氏「宇宙の神、人の神」

NHKラジオ深夜便「こころの時代」から賀川豊彦関連部分のみ抜粋 英知大学長 岸英司氏「宇宙の神、人の神」 今、発想、の転換が必要だ。「宇宙の中の私たち」という意識が大事ではないか。宇宙は人間を生み出したのだから、心というものがある。宇宙意識とい…

現代に通用しないか賀川版「失業共済組合」

賀川豊彦は『1Brotherhood Economics』の元となる『キリスト教兄弟愛と経済改造』を「雲の柱」に連載し、自らが神戸で実施した私的「失業共済組合」について言及している。当時、今の雇用保険にあたる失業者への給付制度はなかった。スラムの中で考え抜いた…

何故「賀川豊彦献身100年記念」なのか 雨宮栄一

賀川豊彦記念松沢資料館ニュースが届いた。雨宮栄一中部学院大学名誉教授が「何故『賀川豊彦献身100年記念』なのか」と題して巻頭言を書いている。以下その内容を転載します。 - いよいよ2009年は「賀川豊彦献身100年記念事業」の年である。多彩な…

神戸文学館を訪ねて 伴 武澄

賀川豊彦献身100年の神戸プロジェクト実行委員会に出席するため12月13日、神戸に行った。予定より早く着いたので、「賀川豊彦文学展」を開催している神戸文学館を訪ねた。 偶然とはよくいうもので、2週間前に近江八幡市を訪ねたときにお世話になった…

一膳飯屋の天国屋開業(2)

無頼の徒、植木屋の辰は、女房子供を育てることも出来ないで、幾度賀川の世話になったかわからないのに、中村の盛業振りを見て羨ましく思った。11月30日の夕方、辰は酒の勢いに乗じて、天国屋にどなり込んで来た。「100円貸せ、飯屋をはじめる」と言…

一膳飯屋の天国屋開業(1)

賀川が一膳飯屋「天国屋」を開業する気になったのも、病人の世話でなく、もっと積極的に貧民窟の人々うるおしたいからであった。マヤス博士に相談して、資金の調達もついた。 賀川の住んでいる街の一町上の広い表筋に一件の店を借りた。開業の費用万端を賀川…

私は予見を欲する 賀川純基氏講演

賀川豊彦は若いころから平和を願っていました。彼の特徴は、ずっと先を見ていたということです。昭和12年、自分で出していた雑誌に「平静」という5行詩を書いています。 私は急がない私は慌てない私は遅鈍を忌む私は予見を欲するたった5行の詩ですが、こ…

歌碑「悲しみを忘れて」

「悲しみを忘れてわたる太平洋 平和の繋(つな)ぎむねにひそめて」 松山市道後姫塚の平和記念広場に賀川豊彦の歌碑がある。まだ訪ねたことはない。生誕100年にあたる1988年の前年、草むらの中に横倒しになったままの大理石の歌碑が見つかり、松山市…

5つの賀川記念館

賀川豊彦が人々の記憶から消え去って久しい。ただ地道に賀川研究を続け、賀川の業績を継承してきた記念館が全国に5つもある。 第一は「賀川豊彦記念・松沢資料館」がある。関東大震災以降、賀川が住んだ世田谷区上北沢に松沢教会と併設されている。賀川が1…

いまなぜ賀川豊彦なのか

来年2008年は賀川豊彦が神戸の葺合新川のスラムに入って救貧活動を始めて100年となります。賀川ゆかりの神戸と東京で賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会がつくられ、筆者は国際平和協会のかかわりから1月、広報委員長に任命されました。 日本と…