think kagawa

(21)−中野総合病院

協同組合病院 購買組合の次に手がけたのが、組合病院でした。賀川が新川の貧民窟で診療所を開設して無料で貧しい人たちの病気を治したことは話しました。当時、貧困と病気は隣り合わせでした。貧しいから無理をする。無理をするから病気になったり、けがをし…

(20)−コープこうべ

コープこうべの誕生 賀川豊彦は1914年から1917年にかけてアメリカのプリンストン大学に留学します。アメリカから帰国した賀川を余人が真似できないのは神戸の貧民窟に帰るところです。賀川は社会活動を再開するのですが、その活動は質的に大きく変化…

(19)−農村の若者がつくった龍水時計

7 農村の若者がつくった龍水時計 リズム時計の源流は賀川豊彦が戦後、埼玉県葛飾郡桜井村(当時)に創業した農村時計製作所だったと話すと誰もがびっくりします。 現在の農協の原形をつくったのは賀川豊彦だった。1922年、福島県でキリスト教の伝道の傍…

(18)−協同組合が示す持続可能な経営

次に私がJA職員向けの雑誌「教育と文化」2009年9月号に書いたムハマド・ユヌスさんと賀川に関するコラムを紹介します。 協同組合が示す持続可能な経営 2009年3月、賀川豊彦献身100年でノーベル平和賞受賞者のバングラデシュのムハマド・ユヌ…

(15)−献身・天国屋

新川の悲惨な生活をともにしながら、賀川はどうしてこういう貧困が起きるのか、どうしたらこういう貧困から脱却できるのか、考え抜きました。 まずは子どもたちの教育が不安となりました。親が親ですから、子どもたちはほったらかしにされていました。学校へ…

(14)−献身・新川での一夜

新川での一夜 後に同志社大学の総長になる牧野虎次は賀川より20歳も年が上でしたが、賀川を終世、先生を呼んでいました。 ある夏の夜、新川で開かれた伝道集会で話をしました。集会が終わって、牧野は賀川の長屋に泊めてもらうつもりでいましたが、賀川は…

(13)−献身・幽霊長屋

賀川豊彦は1888年、回漕業者・賀川純一と徳島の芸妓・菅生かめの子として神戸に生を受けました。4歳の時、相次いで父母を失います。純一は徳島県の豪農の賀川家に婿入りしますが、本妻とは折り合いが悪く神戸でかめと生活していたのです。5歳の時に姉…

(12)−献身・涙の二等分

第二章 賀川豊彦の献身 涙の二等分 賀川豊彦は1919年に『涙の二等分』という詩集を発表しました。無名の伝道者の詩をよく出版社が本にしたものです。神戸市葺合新川の貧民窟に入ってまもなく、「貰い子殺し」という「商売」があったことを知り、なにより…

(11)−ロバート・オーエン再発見(2)

ロバート・オーエンは企業経営に関わる富の社会還元の手法を多く残した。地域通貨や労働組合などもそうだが、どうしても忘れられないのは協同組合的店舗経営だった。 協同組合は1844年代にマンチェスター郊外ののロッチデールで始まったものとばかり思っ…

(10)−ロバート・オーエン再発見(1)

2004年6月初旬に一週間ほど南スコットランドを歩いた。グラスゴーの酒場で一人の日本人に出会い、ロバート・オーエンのことが話題になった。近郊にオーエンが繊維事業を始めた場所で、いまでは世界遺産に登録されているニューラナークという場所があること…

(9)−雲水遍歴

賀川豊彦は1914年、初めてアメリカの土地を踏みます。プリンストン大学への留学で、マヤス先生らキリスト教の恩師たちの力添えによって実現しました。授業料は免除されましたが、アルバイトをしながら3年間アメリカで過ごしました。この時、アメリカで…

(8)−フレッチャー・ジョーンズ物語

もう一つ、エピソードを話したい。2008年春、松沢資料館の杉浦秀典氏から「こんなDVDをもらったんだけれども、興味ありますか」と一片のDVDを手渡されました。オーストラリア人がつくった「フレッチャー・ジョーンズ物語」という1時間ほどのドキ…

(7)−kagawa Revisited

2004年6月、スコットランドのグラスゴーを訪ねました。その2カ月前、「賀川、賀川」と言っている牧師さんがいるということを友人から聞きました。賀川が世界的に知られた人物だということは書物で読んでいましたが、正直言って賀川の信奉者たちが針小…

(6)−地球規模の発信

戦前、日本のことを欧米語で発信した人は多くない。思い起こすのは新渡戸稲造と内村鑑三、岡倉天心、鈴木大拙。そして賀川豊彦がいました。 『武士道』の新渡戸稲造は説明する必要もないでしょう。台湾の李登輝元総統が言及し始めてこの10年、日本でも見直…

(5)−侵略者の末路

賀川純基さんの「予見」には登場しませんでしたが、そのころ国際平和協会の機関誌「世界国家」で賀川豊彦が書いた「少年平和読本−侵略者の末路」という文章を読んでいました。ロシアの作家トルストイの有名な童話『イワンの馬鹿』をモチーフに戦争を論じたも…

(4)−第三の道

二〇〇三年一月、エース交易の機関紙『情報交差点』に「EUの理念の一つとなった友愛経済の発想―キリスト教伝道者・賀川豊彦― 」という文章を書いたことがあります。ヒントはその前の年の純基さんとの会話にあったのはいうまでもありません。直感的に書いた…

(3)−空中征服

空中征服 環境問題と市政請負制 賀川豊彦の小説『空中征服』は二〇〇四年に読みました。大正11(1922)年に大阪日報に連載したものを同年12月に改造社から出版。出版した月だけでも11版を重ねました。『死線を越えて』がベストセラーになった2年…

(2)−賀川の予見

第一章 賀川豊彦の予見 賀川豊彦と出会ってからかれこれ9年になります。財団法人国際平和協会の理事になって、本棚にあった機関誌「世界国家」を読み、いつの間にか古本屋で絶版となった賀川関係の著作を買いあさっていました。中には『賀川豊彦全集』(全…

(1)−はじめに

賀川豊彦のことを書いてきました。一向に完成しません。自分を励ます意味でこれまで書いてきたことをブログにアップすることにしました。足らない部分ばかりですが、その部分を埋めていきながら「Think Kagawa」を完成に近づけたいと思います。たぶん50回…