新協同組合ビジョン策定めざし、研究会を発足  11月5日に公開研究会【日本農業新聞】

 協同組合経営研究所は「新協同組合ビジョン研究会」を設置した。11月5日には東京・駿河台の明治大学で第1回公開研究会を開く。

 同研究会は、2012年の国連国際協同組合年に向けて、日本のこれまでの協同組合運動を総括し今後のあり方を研究し「新協同組合ビジョン」を策定するのが目的。
 11月5日(金)の15時から18時まで、明治大学駿河台)リバティタワー8階1085室で開く。入場無料だが、事前の申込が必要。11月4日までに所属・参加者氏名を明記して、事務局宛てにEメール(fukumuro@kyodo.or.jp)で申し込む。問い合わせはTEL:03-5214-0855で。
 発表は2件。富沢賢治氏(聖学院大学大学院教授)が「友愛を基盤とする社会はどのような形で成り立つか」、本間照光氏(青山学院大学教授)が「賀川豊彦の協同組合思想」をテーマに行う。
 【日本農業新聞2010.10.20】
 http://www.jacom.or.jp/news/2010/10/news101020-11320.php

コープ生協連=日本コープ共済生活協同組合連合会

 生協法改正(2007年)を受け、日本生協連は、全国の会員生協とともに共済事業を専門に行う「日本コープ共済生活協同組合連合会」(略称:コープ共済連)を2008年11月に設立しました。
 食品などの商品供給事業と共済事業の分離を行うことで、契約者保護の一層の強化をめざし、2009年3月21日に共済事業を日本生協連からコープ共済連に譲渡し、コープ共済連は、事業を開始しました。
 取り扱いのCO・CP共済は、生協の組合員が少しずつ貯えあい、困ったときに助け合える仕組みとして1984年に生まれました。「コーヒー一杯の助け合い」と手ごろな掛け金で組合員が助け合うことをコンセプトに、主な生協組合員である女性をはじめ、お子さまやご家族のふだんのくらしに役立つ共済を追求しつづけてきました。今では加入者の輪は、690万人を超え、助け合いの心は大きく広がりました。(「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」パンフレットから転載)

全労済=全国労働者共済生活協同組合連合会

 全労済が取り組む労働者共済事業は、1950年前後から、労働組合や生協関係者の間に労働者福祉運動の一つとしての共済事業に関する関心が高まり、1954年12月、大阪の地で始まりました。
 翌1955年には新潟で、また1956年には富山、長野、北海道、群馬、福島にも誕生しました。いずれも、発足にあたって、まず火災共済事業を手がけました。特に新潟では、発足のわずか5カ月後に大火災に遭遇しましたが、組合員が総力をあげて取り組んだ結果、掛け金収入を上回る給付金の支払いという困難を乗り越えることができ、共済事業の歴史に残る一歩を標すことになりました。この大火災を契機に、各地で共済事業が始まるとともに、さらなる非常事態や大災害に備えるために、事業の全国組織化が急がれることになりました。
 賀川豊彦は、晩年、「保険というものは、その本質上、協同組合化されるべきものだ。歴史的に見ても、保険は友愛的または、社会性を帯びて出発している。それが途中から、その純真な隣人愛的な発生と動機が失われて資本主義化した。
 協同組合がもつ道徳的自粛力と、その非搾取的精神と、その共愛互助の機構そのものが、保険の根本精神と一致する。」と述べられています。全国組織化に向けた労働者共済運動の広がりは、まさに賀川豊彦のこうした「保険制度の協同化」へ思いに強く影響を受けたものです。
 そして、1957年、それまで事業を開始していた18の都道府県労済は、その中央組織として、「全国労働者共済生活協同組合連合会」(労済連、全労済の前身)を結成しました。この労済連は、その後も労働組合との協力関係を広げながら、労済運動の基礎を固め、その後、1964年の新潟地震など、多くの困難を乗り越え、1976年に全国事業藤堂を実現し、略称を「全労済」に改めました。
 賀川豊彦には、労済連が結成された翌年の1958年に労済連の顧問にも就任いただきました。労済連の設立とその草創期における労働者共済運動に対する賀川豊彦の多大なご尽力により、その精神は現在も全労済にも確かに受け継がれています。(「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」パンフレットから転載)

JA共済連=全国共済農業協同組合連合会

 ■昭和26年1月31日創設
 全共連創立時には賀川豊彦氏を顧問に迎え、農協の共済事業が農村の自立資金の蓄積につながることを農民に訴える講演会や、農協職員の教育の講師をお願いするなど、農協の共済事業の普及・発展にお力添えをいただきました。
 また、関東大震災の被災者救済活動を通じて賀川豊彦氏と知り合い、医療組合病院設立や農業共済の基礎作りに務められた黒川泰一元全共連常務が、農協や農民に向けたポスターの作成について賀川豊彦氏に相談した際に、「日本の再建は生命共済から 農村復興は農協互助組織による長期資金の獲得に始まる」との揮毫をしていただき、その原本は現在も全共連(JA共済連全国本部)の役員室に掲げられています。
 その後、農協の共済事業は、「ひと、いえ、くるま」の保障を拡充させながら順調に発展し、今では生命総合共済の加入件数1,387万件、保障金額177兆円、建物更生共済の加入件数1,192万件、保障金額153兆円、自動車共済の加入件数849万件となっており、昨年度は4兆円を超える共済金を年間でお支払するなど、農家・組合員の生活の安定に寄与しています。
 また、農協と連携して社会(地域)貢献活動にも積極的に取り組んでおり、(1)幼児から高齢者までそれぞれの世代に向けた交通事故防止活動の実施、(2)介助犬の育成・普及支援やリハビリテーションセンターの開設などによる交通事故被害者救済活動支援、(3)在宅介護支援のための各種助成による人材育成支援、(4)健康増進のための各種健康プログラムの開発・普及(5)架設住宅の貸与や災害シートの無料配布による災害救援活動などによって、豊かで安心な社会(地域)作りに取り組んでいます。(「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」パンフレットから転載)

社団法人全国労働金庫協会

 ■生協運動と労働組合運動が生んだ労働金庫
 戦後、賀川豊彦を中心として協同組合の再建運動が始まり、1945年の日本協同組合連盟の設立総会で決定された4カ条の綱領の中に「労働者・農漁民による自主的金融機関の設立と高度なる協同的社会保険の確立を期す」ことが掲げられました。しかしこの「自主的な金融と保険」は、後に農協や漁協には認められたものの、生協には許されず、これが労働金庫設立運動の源流のひとつとなりました。
 また、1949年3月、日本労働組合総同盟は生協・事業部全国協議会と「生協設立準備・労働銀行設立準備」を検討し、同年11月の第4回大会で「労働銀行創設」を決議しました。この大会決議が労働組合サイドでの労働金庫発祥の源泉となりました。
 こうした生協運動・労働運動の高まりをうけ、1950年、岡山では岡山生協連の呼び掛けによって「岡山労働金庫」が、兵庫では労働組合が中心となって「兵庫労働金庫」が信用組合として誕生しました。
 ■働く人とともに60年
 生協や労組、またその運動を支える人々の期待を背に、労金は全国に急速に広がり、1953年の労働金庫法の制定を経て、1955年7月には、沖縄県を除く46都道府県すべてに設立されました(沖縄県は本土復帰前に1966年5月設立)全国47の労金は、1998年以降、より一層のサービス向上を目指し地域統合し、現在は13金庫約600支店で全国をカバーしています。また、中央機関として、資金の需要調整等を行う労働金庫連合会と業態内の調整期間である全国労働金庫協会があります。
 労金は、労働者を貧困と高利貸から解放し、経済的地位の向上をはかることを目的として設立されました。その目的は今日の労金の運動と事業に「生活応援運動」として引き継がれ、クレジット・サラ金の高金利引き下げ、多重債務問題解決、昨今の雇用労働情勢の深刻な状況に対応した返済条件の見直し、失業者向け生活資金融資などに取り組んでおります。(「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」パンフレットから転載)

共栄火災海上株式会社の成り立ち

 協同組合・協同組織の前身である産業組合は、保険制度の導入に強い希望をもっていました、中でも賀川豊彦は産業組合による保険事業の経営について熱心に衝動されました。
 昭和17年、産業組合は損害保険会社2社を買収・合併することで、その思いを実現させ、社名は産業組合の理念である「共存同栄」の2文字をとって「共栄火災」と命名されました。
 昭和21年には、創業の精神に即した組織形態となるべく、国内で初めて株式会社から相互会社へ転換し、より協同組合に近い組織形態となりました。そして、火災・傷害・自動車などの一般家計分野において損害保険の市場が拡大していくなかで、着実に地歩を固めていうとともに、設立母体を同じくする各種協同組合・協同組織と深い関係を保ちながら、補償機能において共済事業を補完する存在として堅実な事業運営を図ってまいりました。
 平成15年4月、経営基盤の強化、競争力および信用力をより一層高めることを目的に、株式会社へと組織変更を果たしました。組織変更にあたっては、全国共済農業協同組合連合会日本生活協同組合連合会全国労働者共済生活協同組合連合会農林中央金庫信金中央金庫をはじめとする協同組合・協同組織の諸団体を中心に出資を賜り、盤石な財務基盤を確立、名実共に「協同組合・協同組織を基盤とする保険会社」としての位置付けを確固たるものとしました。
 今後もより一層の関係強化を図ることで安定的な成長に向けての事業基盤を確立し、産業組合の理念である「共存同栄」、「相互扶助」の精神に基づく損害保険会社として、常にお客様を第一義とした事業運営に努めてまいります。(「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」パンフレットから転載)