賀川豊彦先生、クラーク博士、ヘップバーン 李根民

 韓国の大邱新聞オピニオン欄で李根民氏 (大邱大学校リハビリ科学大学教授)が賀川豊彦に言及している。韓国では意外と賀川豊彦が知られているのかもしれない。神戸のイエス団や東京の松沢資料館に韓国人団体の訪問が増えており、賀川の著書のハングル訳も少なからずあるようだ。ハングルを「エキサイト」で翻訳したコラムを以下に掲載する。
 ハングル版「Brotherhood Economics」が出版
 賀川豊彦記念松沢資料館の杉浦学芸員によるとハングル版「Brotherhood Economics」がこのほど韓国のグルムコ出版から出版された。英語からの翻訳である。現在、「Brotherhood Economics」の翻訳出版を目指しているが大手出版2社に断られた。理由は「キリスト教」の話が多すぎるということなのだが、前半のキリスト教に関する記述を省くわけにもいかずデッドロックに乗り上げている。(伴 武澄)
 大邱新聞http://www.idaegu.co.kr/new_gisa.html?uid=180397&part=opis
 賀川資料館の雑芸員日誌http://kagawa100.blog.shinobi.jp/Entry/40/

 私が大学で教える科目の中で一番やりがいを感じる科目が「リハビリ及び特殊教育」である。この科目の目的は周辺に不遇な隣りと障害者のような弱者たちに対する博愛精神を学生たちに植えてくれることにある。
 元々この科目は試験が必要なかったし感想文だけ作成して提出すれば良い科目だった。博愛精神をどんなに試験を通じて評価をするのか? しかし今は学生たちを評価する手段がなくて仕方なく形式的に試験を受けているが、「本当の試験はみなさんが実生活で一生の間受けてほしい」と教えている。
 この科目を教える度にいつも皆さんに紹介するのは次のような話だ。
 第一、賀川豊彦先生は今世紀に日本が生んだ、いや東洋が生んだ大神学者です、科学者です、思想家です、社会事業家です、著作家です、労働組合・農民組合・医療組合活動家としての先覚者です、世界平和主義者だ。
 先生は神戸の犯罪、暴力、詐欺、不倫、貧困などが横行してまるで地獄の一隅を彷彿させる一貧民村で彼らと一緒に笑って、泣いて、祈って奉仕した。地に正義のある神様の国が建設されて自由と平等と博愛精神でいっぱいになった福祉世界建設に生涯を捧げた方だ。
 とてもひどい便秘患者が便秘のためほとんど息が切れる。そんな危急な状況になると先生はその患者の肛門に自分口につけて、それを吸出し洗い出して人をいかしたエピソードもある。
 第二、ウィリアム・クラーク(Williams Clark)はアメリカ・メサチュセトズにあるAmherst農科大学学長(1867-1879)であり1年半の間日本札幌にあるのに農業を通じて日本を先進国隊列に乗せた人物だ。
 札幌農学校(現北海道大学)が1876年設立された後、ウィリアム・クラーク学長を招いて、学校経営を依頼した。クラーク学長はアメリカ本土に帰国する時、学生たちに「Boys be ambitious」という有名な言葉を残して行った。その言葉がまさに大邱大学校の教訓の同じだ。
 銅像に刻まれた文字には「少年たちよ、野望を持て。お金や自分を高めるためだけの名声ははかないこと。人として当然にならなければならないことを成就するために野望を持つように」と書かれている。
 第三、札幌農科大学を卒業した学生たちが、日本の先進国入りに精神的に重要な役目をした。その中に一人が内村鑑三というクラーク学長の弟子があった。彼の生活哲学は「強者は弱者に尽くさなければならない。聖者は罪人のために犠牲をしなければならない。これはまさにキリストが貧しい隣人たちに福音を伝える人間がしなければならない道理だ」というものだった。
 第四、映画俳優オードリー・ヘップバーンが死ぬ一年の前(1992)クリスマスイブに愛する娘に遺言を残した。ここにその文を紹介する。

  1. 美しい唇がほしければ親切なもの言いをなさい。
  2. 可愛らしい目がほしければ人々から長所を見なさい。
  3. すらっとした体つきがほしければお前の食べ物をお腹がすいている人と分けなさい。
  4. 美しい姿勢がほしければ決してお前自分が一人で集めていないことを肝に銘じなさい。
  5. 美しい髪の毛がほしければ一日に一回子供が指でお前の頭を撫でるようにしなさい。
  6. 人々は傷から癒されなければならないし、古いことから新しくならなければならないし、病気から回復しなければならないし、無知から教化されなければならないし、苦痛から救われなければならない。決して誰も捨ててはいけない。
  7. 憶えておきなさい! もし私の手助けになる手が必要だったらお前の八あげくある手を利用すれば良い。(意味不明)
  8. 君がもっと年を取れば、手が二つというのを見つけるようになるでしょう。一手はお前自身を助ける手で、他の一手は他人を助ける手だ。

 キリスト教の根本的な精神は十戒に現われているように大きく二つの幹で成り立っている。先に正しい神様との関係が成立されなければならないし、そんな後に近隣の人々との正しい人間関係が成立されなければならない。
 世の中人々がどんなに私たちがキリストを信じる人なのかを分かるかと言えば「新しい啓明を君逹にユノだからお互いに愛しなさい。私が君逹を愛したように君逹もお互いに愛しなさい。君逹がお互いに愛すれば私としてすべての人が君逹が私の弟子であるとは知らせなさい」(敷布団13:34-35)という内容と一緒に隣人を愛する心があるかを見れば分かる。だから前に紹介した人々も一生の隣人を愛したからキリスト様の弟子なのだ。