賀川豊彦献身100年−近代日本の代表的社会運動家(上)2008年5月27日付け徳島新聞

           賀川豊彦記念館館長 田辺健二(徳島新聞2008年5月27日掲載)

 近代化の矛盾と闘う 貧困者や社会的弱者のために

1909(明治42)年12月24日のクリスマスイブの日、21歳の賀川豊彦(1888−1960年)は、わずかな身の回り品と書物とを積んだ大八車を引いて、神学校近くの当時「スラム」と呼ばれた地区に移り住んだ。
 貧しい人々の友となり、彼らを助けようと思ったのである。その日から来年でちょうど100年になる。それを記念して、現在東京・神戸を中心に各地で、「賀川豊彦献身100年記念事業」が準備されている。
 賀川が神戸の「スラム」に住んだのは13年8カ月余。1923年(大正12)年9月1日、関東大震災が起きると、いち早く東京に第二の活動の拠点を置いて移転した。1960(昭和35)年4月23日に召天するまで、50年余にわたって、日本の近代化のさまざまな矛盾と真正面から闘い続けた。まさに激動の人生だった。
 賀川の主な活動を列記すれば、以下のようになる。
 1.社会的弱者の救済活動=「スラム」の住人・子供・女性・病者らの支援。
 2.協同組合運動の父=生協・農協・漁協・医療生協・信用組合など。
 3.ボランティア活動の先駆者=震災・風水害・飢饉・戦災児の救済など。
 4.世界平和運動の推進=非暴力・反戦・世界連邦運動など。
 5.教育普及活動の推進=労働者・農民・子供らのための教育活動。
 6.精神復興運動の推進=神の国運動・新日本建設キリスト運動・世界伝道など。
 7.幅広い著作活動=小説・詩・評論・論文・童話など。
 8.近代日本における社会運動家=労働者・農民らのための権利獲得運送・普通選挙運動。
 賀川の関係した数多くの事業を分かりやすく、簡潔に紹介するのは難しい。無理にまとめると右のようになるが、賀川豊彦記念松沢資料館作成の「賀川豊彦関係事業展開図」を見れば、そのあまりの多さに驚かされる。
 しかし、これでも各事業の代表例を挙げているだけで、実際の事業まで数え上げれば、数え切れないほどである。数が多いだけではなく、すべての事業が私利私欲ではなく、貧困者や社会的弱者のために行われている、こういう例を私は見たことがない。その規模の大きさ、その意図の崇高さは類を見ない。
 毒舌の評論家大宅壮一は、著書「神はわが牧者」の中で次のように述べている。
 「近代日本を代表する人物として、自信と誇りを持って世界に推挙しうる者を挙げようということになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名前を挙げるであろう。かつての日本に出たことはないし、今後の再生産不可能と思われる人物−、それは賀川豊彦先生である」
 マスコミの帝王と言われた大宅の言葉だけに説得力がある。それほどの人物の知名度が低いのはなぜか。賀川が徳島県出身者であることを知らない人は、まだまだ多いのである。