社団法人全国労働金庫協会

 ■生協運動と労働組合運動が生んだ労働金庫
 戦後、賀川豊彦を中心として協同組合の再建運動が始まり、1945年の日本協同組合連盟の設立総会で決定された4カ条の綱領の中に「労働者・農漁民による自主的金融機関の設立と高度なる協同的社会保険の確立を期す」ことが掲げられました。しかしこの「自主的な金融と保険」は、後に農協や漁協には認められたものの、生協には許されず、これが労働金庫設立運動の源流のひとつとなりました。
 また、1949年3月、日本労働組合総同盟は生協・事業部全国協議会と「生協設立準備・労働銀行設立準備」を検討し、同年11月の第4回大会で「労働銀行創設」を決議しました。この大会決議が労働組合サイドでの労働金庫発祥の源泉となりました。
 こうした生協運動・労働運動の高まりをうけ、1950年、岡山では岡山生協連の呼び掛けによって「岡山労働金庫」が、兵庫では労働組合が中心となって「兵庫労働金庫」が信用組合として誕生しました。
 ■働く人とともに60年
 生協や労組、またその運動を支える人々の期待を背に、労金は全国に急速に広がり、1953年の労働金庫法の制定を経て、1955年7月には、沖縄県を除く46都道府県すべてに設立されました(沖縄県は本土復帰前に1966年5月設立)全国47の労金は、1998年以降、より一層のサービス向上を目指し地域統合し、現在は13金庫約600支店で全国をカバーしています。また、中央機関として、資金の需要調整等を行う労働金庫連合会と業態内の調整期間である全国労働金庫協会があります。
 労金は、労働者を貧困と高利貸から解放し、経済的地位の向上をはかることを目的として設立されました。その目的は今日の労金の運動と事業に「生活応援運動」として引き継がれ、クレジット・サラ金の高金利引き下げ、多重債務問題解決、昨今の雇用労働情勢の深刻な状況に対応した返済条件の見直し、失業者向け生活資金融資などに取り組んでおります。(「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」パンフレットから転載)