理想的生活

 高知に帰って生活して4年半になる。年金生活者ではあるが、他人にすがる生活が厭になったからである。何でも自分でこなせる生活に一歩でも近づきたい。そんな思いがある。囲炉裏部屋の大工仕事も半分は自分でやった。木炭を焼くことも自分でエネルギー源をつくりたいとおもったからである。今、その延長で山菜をとっている。正月の餅つき用に餅米もつくった。ことしは正月飾りに挑戦しようと思っている。

 生活としての最も喜ばしきものは、簡易な生活である。凡てが自分一人こぞつて行ける様な生活こそ、理想的生活と云つてよい。自ら建てた小屋の中へ、自ら築いた竃を据ゑて、自ら作つた野菜を料理して、自ら織つた着物着、自ら凡てを簡単に処理して行くことは、何と云ふ気儘な生活であらう。それこそ誰をも奴隷としない、誰をも王様としない、自分一人が王様で、自分一人が下僕で、自分一人が芸術家で、自分一人が労働者である。誠に簡単な世界である。
 斯うした生活を池に近い森の辺で営んで、毎日、梟と小狐と一緒になつて生活をして居れば有難くもない都会の雑音なんかどうでも宜い。自分一人が実行出来なければ、せめては自分の一家族だけでも、斯うした生活に近いやうに、導くべき筈である。唯に、自分の家族ばかりでなく、村全体が、斯うした生活に甘んずる傾向をつくるべき筈だ。機械が少しも邪魔にならない。機械もまたこの自主の生活に隷属すれば宜いのだ。(『暗中隻語』から)