徳島新聞「鳴潮」2009年10月14日

 徳島新聞「鳴潮」2009年10月14日

 「郷愁」という三好達治の詩にこんな一節がある。<海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる>
 4歳で母親を亡くし、神戸から鳴門の本家に引き取られた社会運動家賀川豊彦(1888〜1960年)は、子どものころ、よく鳴門や小松島の海に潜って遊んだ。海の中の母を求めて、というわけではないだろうが、そうすることで孤独が癒やされたという
 賀川豊彦献身100年記念事業の一環として、あわぎんホールで開かれたフォーラムで、鳴門市出身の濱田陽・帝京大学准教授(宗教学)が「海の自然と賀川豊彦」と題して話した。濱田さんによると、賀川にとって「海に潜ることと心の世界に沈潜することはパラレル(同列)になっていた」
 そして、多様な生き物がすむ自然の中に「協同」を見、生活協同組合労働組合などのビジョンを構想していったのだという。さまざまな波の形を観察し、ノートに記録しているのは、賀川がいかに自然から多くを学んだかの証しだろう
 吉野川の自然が賀川の感性をはぐくんだ話はよく聞くが、海と思想形成の関係については初めてだ。それだけに新鮮な感銘を受けた
 濱田さんによると、賀川は太平洋が「戦争の海」になることを憂えていたという。そうした平和への思いもまた、子どものころに遊んだ美しい鳴門の海ではぐくまれたようだ。