2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧
八田與一のことを書いた萬晩報のコラムを見た虫プロダクションの社員からメールが来て、八田與一のアニメーション「パッテンライ」が完成していたことを知った。というより光栄にも4月1日の試写会に招待された。 八田與一は台湾で最も尊敬される日本人とし…
20年前の1989年、ベルリンの壁が崩壊して以降、国際政治にソ連という対抗軸がなくなり、共産主義が消滅してしまった。中国はもともと市場経済を入れていますから、アメリカ一国主義になってしまった。それで、どういうことになったか。ちょうどそのころ、マ…
この本はさきほど言ったように1936年、アメリカでハーバー社から出版され、翌年、ロンドンでも出版されました。最終的に17カ国語に翻訳されました。中国にもアラビア語にも翻訳されています。これが、日本語だけなっていませんでした。 1936年という年は、ヨ…
話は戻りますが、この本に「友愛」と書いてあるでしょう。友愛はブラザーフッドです。友愛の系譜というと鳩山由紀夫首相が言っている「友愛」にも突き当たります。この「友愛」はクーデンホーフカレルギー公が1920年代に書いた汎ヨーロッパリズムという本に…
賀川の弟子で武内勝という人がいます。一番弟子です。賀川が活動の拠点を東京に移した後も、神戸のスラムの施設をずっと維持しました。愚直なまでの人でした。その人が大恐慌時代に考えだしたのが、失業者に対して給付金を出す仕組みです。仕組みは長くなる…
賀川はスラムの中から試行錯誤しながら、食堂を始めたり、歯ブラシ工場を経営したりしながら、独自の生活協同組合を生み出しました。今も続いているのはコープこうべです。140万人の会員を抱えた世界最大の協同組合だといわれています。いろいろなことをやる…
米沢和一郎さんという賀川豊彦研究家がいます。明治学院大学のキリスト教研究センターの研究員をしていました。その前は財団法人雲柱社の賀川豊彦記念松沢記念館の研究員でもありました。大変な方で、海外での賀川の活動を克明に研究しました。各地に賀川の…
なぜユヌスさんとか、プラティープさんの話をしたかというと、振り返れば70年前に、80年前に賀川豊彦が同じようなことを行っていたからなのです。そのことを忘れて、「おお、ユヌスさんは偉いな」と言っているのです。ユヌスさんは確かに偉いですが、わが日…
ユヌスさんはこういうことを言ったのです。「先進国の人たちは、ODAを通してバングラディッシュに職業訓練とかいろいろしてくれる。でも、私の国には、そもそも雇用という概念がないんだ」と。分かりますか。雇用というのは、会社とか、役所とかに勤めて…
アジアにはまだそういったスラムがあります。7月にタイからスラムの天使と言われる女性が神戸で講演しました。プラティープさん。アジアのマグサイサイ賞も受賞した女性です。彼女はスラムで生まれ育ちました。貧乏だったため小学校しか出ていません。卒業…
僕もスラムというのは知りません。偉そうなことはあまり言えないんですが、当時のスラムはどういう世界だったかというのを、後に同志社大学学長になった牧野虎次先生の書き物から説明します。 牧野先生は賀川より20歳ぐらい年上だったそうですが、賀川のこと…
当時のアメリカには「I have a dream」という言葉を残したキング牧師がいました。そのとき、何でああいうことを言うのか分かりませんでした。後で知ったのはサウスキャロライナでは、黒人の行く学校と白人の行く学校が違っていたことです。バスも前と後ろに…
当時の白人の人口が400万人。黒人の人口が1,600万人。4倍もの人を白人が実質的に支配している国があったんです。17年前ですよ。多分、ここで 17年前に生まれていない人はいませんよね。物心もついていない人はいませんよね。私は1960年代、そこに3年近く…
2009年10月15日、同志社大学で行われた講演会「賀川豊彦のキリスト教と協同組合」で、伴武澄は「甦る賀川豊彦の平和思想」と題して講演した。以下はその講演内容である。 -------------------------------------------------------------- 皆さん、こんにち…
賀川豊彦献身100年記念事業の成果が相次いで発刊されている。同志社、公共哲学センターに続いて、千葉大学の小林正弥先生の著作『友愛革命は可能か』(平凡社新書、2010年3月15日)が発刊された。 小林先生は、友愛を政治スローガンとして掲げた鳩山政権誕…
「公共研究」2010年3月 第6巻第1号 ■特集1 友愛政治の理念とその可能性 −コミュニティをつなぐもの 巻頭言[友愛政治の理念とその可能性]……小林正弥 友愛政治の理念と可能性一地球的平和・環境・福祉…小林正弥友愛と政治…………鈴木 寛パネル・ディスカッシ…
3月26日、京都から嬉しい宅配便が会社に届いた。昨年10月に同志社生協で「甦る賀川豊彦の平和思想」と題して講演した内容が、昭和30年代の賀川の講演内容と共に「賀川豊彦のキリスト教と協同組合」と題した1冊の冊子となり、講演会を主催していただいた同…
このブログの日付と実際の書き込み日はずいぶんと違うことに気付いた読者も少ないと思う。とにかく“毎日”書くことを義務付けている。引っ越しで日が空いたから、10日ほど追い掛けないといけない。 先日、賀川豊彦献身100年記念事業の広報委員である年配の方…
松沢資料館で機関誌「雲の柱」の次号のゲラ刷りをみるチャンスがあった。その中に「ガンジー・賀川・マンデラ」という見出しが気になるコラムがあった。筆者は河上民雄氏。 20年以上も前にインドのニューデリーで開催された「反アパルトヘイト(人種隔離)国…
3月17日、ついに上北沢に転居した。たまたまサクラの季節に引っ越しとなった。今朝(23日)早めに家を出て駅南側にあるサクラ並木通りを散策したが、まだ数輪しかほころんでいない。週末が楽しみだなどと考えていたら、向こうから松沢資料館の杉浦さんが歩…
中ノ郷信用組合の組合長で、パルシステムなどが主催したシンポジウム「あたたかいお金のまわしかた」で講演することを楽しみにしていた近藤宏理事長が2月に急逝し、3月10日、お別れの会が開催された。イッセー・ブログが当日の様子を書いているので転載さ…
去る3/18(木)、これまで各地で講演をさせて頂いていたが、この度は埼玉県の生協連合会にて、賀川豊彦のお話をさせて頂いた。同連合会の役職員研修会ということで、理事会の前の貴重なお時間をお取り頂き、賀川豊彦についてお伝えさせて頂いた。 すでに各都…
夕方、今日(3月18日)の日経新聞の「交遊抄」に賀川督明さんが載っているとのメールをもらった。日経の最終面は「私の履歴書」と連載小説「韃靼の馬」を毎朝読んでいるが、今日の「交遊抄」は見逃していた。 - 写真の評価には好き嫌いがあってもよい気がす…
「土木技術資料」という雑誌の3月号に巻頭言を書かせてもらった。広井勇の名前はあまり知られていない。新渡戸稲造、内村鑑三とともに札幌農学校二期生の三羽がらすといわれ、日本の土木工学の礎を築いた人物である。弟子の青山士は内村鑑三に影響を受け、…
賀川豊彦記念松沢資料館の杉浦秀典氏のブログからの引用である。桜上水のタッピング坂あたりを散策したときのつれづれ書きである。ちなみに筆者は17日に上北沢に転居します。賀川豊彦からますます離れられなくなっていく自分です。(伴 武澄) -------------…
余談である。コープこうべ顧問の西義人さんの案内で神戸市内をドライブしていたとき、西さんがぽつりと言った。 「三田の九鬼一族が明治の初期にここらの土地を買い占めたんですよ」 志摩半島にあった九鬼一族が徳川の時代になって三田と綾部に転封された。…
先日、賀川豊彦献身100年記念懸賞論文の審査が行われ、河田喜一氏の「私にとっての賀川豊彦」と内堀浩幸氏の「福祉における公と民の協働実践を通して〜賀川精神の継承とその具体化を模索する」が最優秀賞に選ばれました。篠原謙江氏の「賀川豊彦に学ぶ」ほか…
北京在住の親友、岩間孝夫さんが帰省していた先月、大阪で一献傾けた。その時、山崎朋子の『朝陽門外の虹』が話題となった。桜美林学園創設者の清水安三の物語である。賀川豊彦の影響を受けた清水安三は北京でミニ賀川を実践した。北京の下町というか、スラ…