伴武澄が語る「甦る賀川豊彦の平和思想」(4)

 僕もスラムというのは知りません。偉そうなことはあまり言えないんですが、当時のスラムはどういう世界だったかというのを、後に同志社大学学長になった牧野虎次先生の書き物から説明します。

 牧野先生は賀川より20歳ぐらい年上だったそうですが、賀川のことを「先生」「先生」と言っていました。賀川のスラムに行って講演をしたり、伝道をしたりしたそうです。その牧野先生がある晩、集会が終わってから、今日はここで泊まると言います。牧野先生は、賀川と一緒に泊まるつもりでしたが、賀川は「君は特別待遇だ」と言って、「診療所の病人用の白い寝台に真新しいシーツを2枚重ねて特別仕立てのベッドを用意してくれた」と書いてあります。

「1時間もたたないうちに、体中がチクチクしてきました。電気を付けてみると、シーツの上に黒ゴマまき散らしたような南京虫がうごめいていてゾッとしました。眠れないので、窓から外を見ると、また驚くべき光景を目にしました。売春婦たちが男を引っ張り合っていました。まるで女性サタンがゲヘナで獲物を奪い合っているとしか見えないすごい様相であった」と書いています。

 そのようなところに賀川が13年も住んでいたということ自体、とても信じられません。賀川批判するのは一向に自由ですが、批判する人たちに、一度でもいいから1泊でもいいからそういうところに泊まってごらんと言いたいです。

1920年代に賀川は既に世界的な著名人でした。100年前にスラムに入って、マザーテレサのように貧民のために尽くしていたからです。ただそれだけのために、彼が今でいうノーベル平和賞をもらう価値があったと思います。13年間にわたり、彼は神戸のスラムに貧民と共に暮らし、暮らしを支えました。