伴武澄が語る「甦る賀川豊彦の平和思想」(3)

 当時のアメリカには「I have a dream」という言葉を残したキング牧師がいました。そのとき、何でああいうことを言うのか分かりませんでした。後で知ったのはサウスキャロライナでは、黒人の行く学校と白人の行く学校が違っていたことです。バスも前と後ろに分かれていたんです。南アフリカと同じ差別がアメリカにもあったのです。一つ違うことは、アメリカ合衆国憲法では、黒人の差別を認めていなかった。それだけです。でも実態は同じことが起きていた。

 いいですか。アメリカは今、民主主義だとか、自由だとか、アジアやアフリカの国に対して求めています。偉そうなことを言っていますが、「あなたの国は 50年前、40年前まで何をやってきたのか」と言いたい。

 賀川豊彦は1914年から3年間、アメリカに留学しています。そのころはいいアメリカだったみたいです。ところが、1924年に彼は全米学生連盟に招かれてアメリカへ行きますと違うアメリカがありました。そこで見たのは何か。日本人排斥法ですね。カリフォルニアにいた日本人は確かに多かった。サンフランシスコとか、シアトルへ行くと、人口の1割は実は日本人だった。皆さん知らないでしょう。ハワイは半分が日本人だったんです。それは白人社会から脅威ですよね。

 賀川はその時のアメリカを「悪魔のアメリカ」と呼んだのです。賀川は親米主義者のように思われていますが、その時以来、アメリカ人の前で徹底してアメリカの人種差別を批判しています。本当です。
1920年代に賀川は既に世界的な著名人でした。100年前にスラムに入って、マザーテレサのように貧民のために尽くしていたからです。ただそれだけのために、彼が今でいうノーベル平和賞をもらう価値があったと思います。13年間にわたり、彼は神戸のスラムに貧民と共に暮らし、暮らしを支えました。