2008-01-01から1年間の記事一覧

協同組合と医療のこと 色平哲郎 日経メディカル

以下は、昨年「日経メディカル」向けに書いたものです。 08年3月10日 私は農協職員である。 十数年来、長野県厚生農業協同組合連合会(厚生連)傘下の佐久総合病院(長野県佐久市、夏川周介院長)に勤務している。 わが厚生連病院の存在が、一般にあま…

賀川豊彦ゆかりの地も 「コープこうべ」は17日に 12月24日付け毎日新聞地方版

賀川豊彦ゆかりの地も 「コープこうべ」は17日に 12月24日付け毎日新聞地方版 ◇温かい心を分かち合いませんか ◇長田・大国公園→御蔵北公園近く 阪神大震災から14年になる神戸の町を歩いて、温かい心を分かち合いませんか−−。震災で壊滅的な被害を受けた…

賀川豊彦献身100年記念シンポジウム

2009年4月29日14:00−17:00 明治学院大学白金校舎テーマ:平和・人権・共生基調講演者:最上敏樹氏(国際基督教大学教授)パネリスト:阿部志郎氏(神奈川県立健康福祉大学名誉学長) 野尻武敏氏(神戸大学名誉教授) 荒川朋子氏(アジア学院副校長) 戒能信…

文学に見る賀川豊彦 神戸文学館で企画展 12月13日付け神戸新聞

文学に見る賀川豊彦 神戸文学館で企画展 12月13日付け神戸新聞 神戸で労働運動や生活協同組合運動などを展開した賀川豊彦(一八八八-一九六〇年)の歩みを文学的な面からたどる企画展が、神戸市灘区の神戸文学館で開かれている。社会運動家のイメージが強い…

 2008年12月27日時点、AMAZON.COMで購入できる賀川豊彦関連の中古本

1.賀川豊彦から見た現代 賀川豊彦記念講座委員会 (単行本 - 1999/5) 新品: ¥ 1,890 (税込) 2.賀川豊彦 (同時代ライブラリー (245)) 隅谷 三喜男 (- - 1995/11) 10 点の全新品/中古商品を見る ¥ 750より 3.死線を越えて (上巻) 賀川 豊彦 今吹 柳乃助 (単…

賀川豊彦献身100年記念館事業

私たちのネットワークと協働を支える場として、ミュージアムとアーカイブスおよび研究室と神戸プロジェクトの事務局を設置します。また、社会の下支えを担っているボランティアを顕彰する賀川賞を創設します。「賀川さんはいますか」各団体から毎年、賀川賞…

賀川豊彦献身100年出版事業

■今後の出版 復刻 賀川豊彦『死線を越えて』(PHP研究所、2009年4月予定) 復刻 賀川豊彦『空中征服』(不二出版、2009年4月予定) 新刊 滝川好夫『資本主義はどこへ行くか』(PHP研究所、2009年1月20日) 劇画 藤生ゴウ『賀川豊彦物語』(…

賀川豊彦講座(神戸)

第13回 2008年11月29日(土) 「賀川豊彦先生の思い出を語る」 梶谷忠修氏=兵庫県議会副議長 共栄火災ビル7F(神戸市中央区本町通吾妻通5-1-6)第12回 2008年09月27日(土) 「賀川豊彦と一麦寮」 ・・賀川の愛した“武庫川のほとり”瓦木村での活動とその残し…

100年シンポジウム(予定)

2008年3月7日(土)13:00−17:00 神戸大学百年記念館六甲ホール プレセッション 2008年3月8日(日)12:30−17:00 神戸国際会議場メインホール パネル展 基調講演 ムハマド・ユヌス氏 「時毒可能な社会づくりとソーシャルビジネス ―もうひとつのシ…

80年前に協同組合を世界に問うた日本人(3) 伴 武澄

ロッチデールの5原則 労働者の生活改善という発想は、ロッチデールの人々に受け継がれ、生活協同組合(コープショップ)という概念として後に確立する。当地の織物労働者たちによって1930年から試行錯誤が続けられ、1844年、13人のメンバーによっ…

80年前に協同組合を世界に問うた日本人(2) 伴 武澄

ニューラナークの購買部 賀川は単なる理論家ではなかった。1910年代末、神戸のスラムから労働者に団結を訴えた。鈴木文治らが東京で結成した「友愛会」の関西支部として1920年に「友愛会関西労働同盟会」を結成し、翌年、三菱・川崎造船所の労働者を…

80年前に協同組合を世界に問うた日本人(1) 伴 武澄

80年前の世界恐慌のころから、協同組合的経営の重要性を世界に問うていた日本人がいた。賀川豊彦。神戸・新川地区のスラムで貧しい人々と15年一緒に暮らした。日々の貧困と闘いながら、救貧の必要性を説き、防貧の対策を考えた。その末にたどりついた結…

中ノ郷質庫信用組合の初代組合長となった田川大吉郎

田川大吉郎(1869-1947=明治学院総理、中ノ郷質庫信用組合初代組合長) 明治2年、長崎に生まれ、20歳で早稲田大学の前身東京専門学校を卒業。18歳のころから筑水生のペンネームで報知新聞に論説を書き、矢野龍渓に認められて大学卒業後、同社の論説記…

何故「賀川豊彦献身100年記念」なのか 雨宮栄一

賀川豊彦記念松沢資料館ニュースが届いた。雨宮栄一中部学院大学名誉教授が「何故『賀川豊彦献身100年記念』なのか」と題して巻頭言を書いている。以下その内容を転載します。 - いよいよ2009年は「賀川豊彦献身100年記念事業」の年である。多彩な…

地域医療を“貸しはがし”から救った草の根の力

NBonlineで内藤真弓氏が「地域医療を“貸しはがし”から救った草の根の力」という意味深いコラムを書いている。いくつか視点がある。まずは金融機関の「貸しはがし」が病院にまで及んでいる点。画一行政のもとで財政からの支援もまさに"貸しはがし"状況が進ん…

インタビュー : 加山久夫・松沢資料館館長

賀川豊彦とはどんな人物だったのか、今、賀川の思想や業績を知るのはどんな意味があるのか、献身100年記念事業東京プロジェクト事務局長を務める加山久夫・賀川豊彦記念松沢資料館館長に話を聞いた。 × × × ―賀川の人物像は? 「今で言うところのマルチ人…

豊幸農場と共益社の思い出 木本郁

昭和15年と云う年は皇紀2600年の年であり、国の内外で各種の記念行事が行われたが、私自身にとっても文字通り記念すべき年となった。此の年の10月、大阪中の島公会堂に於いて、大阪キリスト教青年聯盟主催の2600年記念奉祝伝道講演会が催される…

神戸文学館を訪ねて 伴 武澄

賀川豊彦献身100年の神戸プロジェクト実行委員会に出席するため12月13日、神戸に行った。予定より早く着いたので、「賀川豊彦文学展」を開催している神戸文学館を訪ねた。 偶然とはよくいうもので、2週間前に近江八幡市を訪ねたときにお世話になった…

ふーちゃんの訪問 賀川豊彦

「チャーチャン!」「チャーチャン!」隣の桶屋のふーちゃんがひき戸の隙から 首出して私の妻を呼んでゐる ふーちゃん 今年 二つはん頭の髪は蓬のやうに生えたら生えたで生えながしきものは垢でキンピカリ (略)Sとふーちゃん なかよしでなんでも二人で 食…

庶民に尽くした久留米藩当主 有馬頼寧

有馬頼寧(ありま よりやす=1884(明治17)-1957(昭和32)=政治家、農林大臣) 山本一生『恋と伯爵と大正デモクラシー』(日本経済出版社、2007年9月17日)を読んだ。有馬頼寧の物語である。頼寧は旧筑後国久留米藩主有馬家当主で伯爵有馬頼万の長男とし…

"I know Dr. Kagawa 高橋源次

賀川豊彦学会が誕生したのは昭和60年のこと。学会論叢の創刊号が11月に世に出た。その巻頭言を書いたのは当時の高橋源次氏。明治学院大学名誉教授である。1934年にロンドン大学に留学したときのエピソードを書いている。 "I know Dr. Kagawa" そう言…

PHPで小説『死線を越えて』の復刻が決定

賀川豊彦のベストセラー『死線を越えて』が来年に4月、PHP研究所から復刻されることになった。賀川豊彦献身100年の広報委員に就任してから1年、最大のニュースだと喜んでいる。 PHPでは来年1月、神戸大学の滝川好夫著『資本主義はどこへ行くか』…

賀川先生「卓上語録」(7) 田中芳三編

百三人の賀川伝 先生は私の顔を見るなり、嬉しそうに「今度、君の言い出しでキリスト新聞社から"私達の見た賀川豊彦"を多くの人から原稿を求めて出す事になった。面白いネ! こんなのは世界中未だ何処にもない」「先生、それは違います。ルカ伝の初めには"−…

賀川先生「卓上語録」(6) 田中芳三編

自然療法 「先生、わたしは昔、胸が悪く、41人徴兵検査を受けて、38人甲種合格したのにわたしは丙種でした。それで私は先生のお書きになった"我が闘病"で療養生活をしました」「君ね。人間の体の中にも、(1)創造(2)保存(3)修繕と三位一体の原則が働いて…

賀川先生「卓上語録」(5) 田中芳三編

共産党 「共産党は僕を一番こわがっているらしい。だから母港は何時やられryかわからん! キリストは33歳で死なれたのだから、死は覚悟している。僕も22歳の時、一度死んだのだから、今の生命は儲けものだよ」(1949年1月3日、一麦寮にての座談…

賀川先生「卓上語録」(4) 田中芳三編

人生の目的とは何か 「先生、人は何故此の世に生まれて来たのですか。"人生の目的"とは何でしょうか」「それはイエスの友の5綱領にある−(1)イエスにあって敬虔であること(2)貧しい者の友となって労働を愛すること(3)社会の為に奉仕すること(4)純潔なる生活…

賀川先生「卓上語録」(3) 田中芳三編

予言 「先生は先年、講演で“四国は将来二つに割れる”とおっしゃいましたが・・・」 「君もよく知っているだろう! 大歩危小歩危のあの奇岩を! あれは吉野川を中にして東と西とに割れている姿だよ。今から何万年か後に東と西とに真っ二つに割れるね。」「戦…

賀川先生「卓上語録」(2) 田中芳三編

首相に何故ならなかった?「先生は終戦後“総理大臣”になると云う人がありましたが、何故なりませんでしたか」「僕は学者肌の方で、あんな処にじっと坐らせられたらたまらんよ、好きな自然科学の研究でもしている方が余程面白いね。また僕は15歳で受洗した…

賀川先生「卓上語録」(1) 田中芳三編

紀州粉河の同志たち 二十数年間交わっている紀州粉河のイエスの友の同志、武本昭夫氏は、数年間に亘って修養会の私の話を全部筆記して9冊の謄写版刷りにしてくれた。その武本昭夫氏をイエスの友に導いた田中芳三氏は、大阪市阿倍野区文の里の自宅に泊まって…

ヴォーリズに集まった兄弟たち (続) 伴 武澄

近江兄弟社の英語表示は「Ohmi Brotherhood」である。学園の場合はその後に「Schools」が付く。「Brotherhood」の日本語訳には「友愛」もある。鳩山由紀夫氏は民主党の代表となった際に「友愛」と言った。初めて聞いた時は「軟弱」と感じた。明治天皇は御製…