賀川先生「卓上語録」(5) 田中芳三編

 共産党
共産党は僕を一番こわがっているらしい。だから母港は何時やられryかわからん! キリストは33歳で死なれたのだから、死は覚悟している。僕も22歳の時、一度死んだのだから、今の生命は儲けものだよ」(1949年1月3日、一麦寮にての座談)

 中国
中共が戦争に勝って、中国大陸を全部占領してしまっても中国は共産化するとは僕は考えない。中国にも真面目なクリスチャンが多くあり、共産党員の中へ伝道している」
「先生、蔣介石にあったことありますか?」
北京大学に居た毛沢東と会ったことがあるが、蔣介石にはまだ一度も会っていない。蔣介石が『日本には賀川のような人間がいるから、日本との平和の望みを捨てない』と言ったということは事実だ」(1949年1月3日、一麦寮にての座談)

 協同組合理論
マルクス資本論は−」
マルクス資本論には次のように述べている。即ち、『搾取−集積−集中−生産過剰−戦争−恐慌−失業−ストライキ−かいきゅうとうそうー革命』。僕は流血革命にならない為に、利益払い戻し、持ち分制限一人一票−の協同組合を説いて廻っているのだ」(天満教会で)

 
「僕は蟻を飼って、有野生活を研究した事がある。蟻の協同組合は実にうまくいっているネ。蟻には胃袋が二ツある。一ツは他の蟻の困った時に助けるためにある。エジプトの蟻は、ナイル河が氾濫した時、3万匹の蟻が一ツの塊になって流れて行く、上と下と、中と外と絶えず入れ変わって呼吸する。そして陸地を見つけて其の処に巣をつくるそうだ。人間も蟻のような助け合いの協同組合ができたらよいのにネー」

 愛の実践
「キリストは5000人、4000人の飢えた群衆にパンを食べさせたことを僕は福音だと思っている。キリストはこの時祈りましょうとは云わなかった。例えば或る人が入院した。信者の友人が、病床で懇切にお祈り下さった。或る信者でない友人が、お祈りすることを知らないので『入院費があるか』と尋ねた。なければ出してやるだけの勇気がなければ言えない言葉である。この時、この病人の真の友人はどちらであろうか? 今のキリスト教会と信者の多くに、祈禱があって、愛の行動のない事を僕は何時も悲しく思っている」(私の家で)

 愛のアンテナ
『神様がわからん』と云う質問をよく受ける。神様とは愛だよ、ちょうど電波のようなものだ。神様から愛と云う電波を送ってくる。こちらは愛と云うアンテナと真空管で受ける。神さまの方から絶えず電波を送ってくるが、こちらのアンテナか真空管がいたんでおればキャッチする事が出来ない。"愛なき者は神を知らず"だよ」(私の家で)

 世界連邦
「最近のキリスト教界のお祈りを聞いていると、主の祈りの前の三つを忘れて後の三つだけをお祈りしているように感じる。我々は何よりも先ず"御心の天に成る如く、地にも成らせ給え"と祈る責任がある。僕の世界連邦運動は、此の祈りから出ているのだ。政府与党は小選挙区制だとか、何とか色々の手を用いて、国会議員を三分の二以上獲得した暁には平和憲法を改悪し、再軍備をしようと計っている。我々は此の魔手から日本を救う為にもぜひ、世界連邦の運動をやってほしいものだ」(1957年、大阪クリスチャンセンターで)

 山室と賀川
「キリストの前にヨハネが現れたが、賀川の前にヨハネの如き存在として現れたのは山室ではなかったか知ら、山室先生が最後に大阪へ来られた時、一寸の高さもない江指氏宅の玄関の敷居がまたげない程弱っていられたが、山室先生の最後の受難などもヨハネとよく似ているように思いますが・・・」
「君は折々面白いことを言うね。実際、山室先生には、エッセネ派ヨハネのような風貌があったようだね。実に日本の生んだ偉大な先覚者であった」(私の家で)

 解剖
「先生の脳は皺が多いでしょうから、無くなったら解剖したいと、みんなが言うでしょうが」
「僕はいやだね、だって痛いもの」(私の家で)

(『神わが牧者 賀川豊彦の生涯と其の事業』田中芳三編から転載)