2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧

賀川豊彦とバートランド・ラッセル(2)

バートランド・ラッセルを載せた營口丸(松下注:長崎三菱造船所が明治期に造船。もともとは郵便船らしい。)は、十七日午前十一時三十分、神戸港第二波止場に沿うて徐行して居る。此の日恰も大倉山公園に催された労働者の運動会にて勢揃いせる各労働組合会の…

賀川豊彦とバートランド・ラッセル(1)

バートランド・ラッセル氏は、愈々(1921年7月)十七日正午、神戸入港の栄口丸にて来朝せり。同じ思想の流れを汲む賀川豊彦氏真っ先に出迎え、同氏並びに改造社・山本実彦氏(=社長)の介添えにて、ラッセル氏は、目下罷業(=ストライキ中)の職工団と挨拶を交…

賀川豊彦とアインシュタイン(松岡正剛の千夜千冊から転載)

松岡正剛の千夜千冊 第七百二十二夜『改造社と山本実彦』から転載 山本は、儲けるだけでは気がすまない。なんとか日本を動かしたい。大向こうを唸らせたい。 そこで、まずはバートランド・ラッセルの招聘を皮切りに、海外の大物を呼ぶことにした。来日と出版…

賀川豊彦とガンジー(GAIAの日記から転載)

賀川豊彦とガンジー(GAIAの日記から転載)「わたしの非暴力1」125ページより1939年1月16日、当時の日本において有名なキリスト教伝道師であり、社会運動にも尽力した賀川豊彦がバルドーリにガンジーを訪問した。 当時日本は中国に侵略戦争を開始…

神戸の海文堂書店で『死線を越えて』がベストセラー

何げなく賀川豊彦関連を検索していたら、神戸市の海文堂書店で『死線を越えて』(PHP研究所)が5月6日〜5月12日の売り上げトップになっていたというサイトを見つけた。翌週は4位だった。 ブログ「こだわりの店」に紹介されている海文堂書店は以下の通…

もう一つの「友愛」 一世紀前の実践に学ぶ【岩手日報】

もう一つの「友愛」 一世紀前の実践に学ぶ【5月31日付け論説】 明治末期。日露戦争後のわが国は不況の真っただ中にあった。戦費調達の増税、物価上昇が国民を苦しめた。農村も疲弊し、大都市に人々が流れ込んだ。各地にスラム(貧民街)ができ、貧困が大き…

馬島?とイエス団友愛救済所

鳥飼慶陽先生の賀川豊彦のお宝発見 馬島医師の神戸における働きは少しの期間であるが其の足跡は大きいものがある。 今回の「玉手箱」のなかに、馬島医師から武内勝宛に留学先から送られた二枚の絵葉書が残されている。これの消印をみると留学中のシカゴ大学…

賀川豊彦の協同組合思想と日韓現代社会ーBrotherhood Economics の可能性

「賀川豊彦の協同組合思想と日韓現代社会ーBrotherhood Economics の可能性」 濱田陽・李珦淑 一 賀川協同組合思想の現代的意義 この度、賀川豊彦のBrotherhood Economicsが日本に先駆けて韓国で翻訳・出版された。協同組合システムの理念を根源的に問い、平…

高まる賀川豊彦に関する関心 Think Kagawaのアクセスは1000/日

賀川豊彦が月刊誌「家の光」に連載した協同組合小説『乳と蜜の流るる郷』が8月末、家の光協会から復刻されることが固まった。嬉しいニュースだ。昨年、三河で自主出版された『一粒の麦』以来、『死線を越えて』(PHP研究所)、『空中征服』(不二出版)…

「ハルの幸い、社会の幸い」 賀川ハル資料集出版記念講演会

5月に『賀川ハル資料集』が緑陰書房から発刊された。賀川豊彦のよき伴侶であり、最大の協力者であった妻ハルが書いた文章や残した多くの書簡や資料を全3巻にまとめたものである。賀川豊彦理解のために欠かせない一次資料として学術的価値も高いとの前評判…

賀川豊彦 広がる再評価 貧困者救済から100年、自伝小説を復刻 【産経新聞】

近代日本を代表する社会運動家で伝道者の賀川豊彦(1888〜1960年)が、貧困者を救おうと、神戸の貧民街に身を投じて今年は100年の節目にあたる。大正時代にベストセラーになった自伝的小説「死線を越えて」が、今春復刻されるなど、賀川の功績を…

徳島で10月に献身100年記念県民フォーラム

徳島県が生んだ社会運動家・賀川豊彦(1888-1960)の功績を多くの県民に伝える「献身百年記念事業・徳島プロジェクト」の実行委員会が6月13日に設立される。12日、関係団体による準備会で決まった。10月に開く県民フォーラムを中心に多彩な顕彰事業を…

『乳と蜜の流るる郷』が家の光から復刻

賀川豊彦の協同組合を主題とした小説『乳と蜜の流るる郷』が40年ぶりに家の光協会から復刻されることが決まった。発売は8月末を予定している。 『乳と蜜の流るる郷』は月刊誌「家の光」に昭和9年1月号から同10年12月号に至るまで24回に亙って連載…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(12)

近く第二工場新設 1億円でリズム時計 昭和32年07月21日 目覚時計の製造では本邦一の成績を上げているリズム時計工業株式会社=北葛庄和村、谷碧社長=は工場並に新鋭機会整備に第三回増資2500万円を決定、8月初旬払込完了で従来の3500万円が60…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(11)

輸出品を追って 目覚ましい進出ぶり 東南アへ行くリズム時計 昭和31年10月05日 ○…月産4万個の目覚時計を生産しているリズム時計工場KK=北葛庄和村=は東南アジア、アフリカなど十数カ国への輸出に追われ、生産が間に合わないとうれしい悲鳴をあげている…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(10)

リズム時計に大臣賞 昭和28年07月19日 国産時計の汚名一掃のため通産省は4月1日から2カ月半、通産省機械試験所と名古屋工業技術試験所で国産時計43品目340個の品質テストを行っていたが、優秀時計メーカーに対し通産大臣賞と重工業局長賞を贈ること…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(9)

“農村時計”生産停止さる 200万円で新会社創設か 昭和23年04月23日 北葛胸ミサくらい村農村時計製作所では賠償指定の工場でありながら機械の使用許可なく生産申請外のバリカンなどを制作していたところ、2月中GHQ係官が調査の結果、この程軍政部を通じ…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(8)

能率給制(スライディングスケール)を採用 生活の再建と生産増強が目標 昭和22年06月26日 農村時計の試み 南桜井村農村時計工場では県下の事業場にさきがけて全工員1000余名の賃金日給制を月給能率給に改めるため先ごろより数回にわたり、従組側と折衝…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(7)

おらが村自慢 北葛南桜井村 失業者のいない村 農村鉱業化に只管精神 昭和22年03月25日 南桜井村は戸数1000戸余り、人口5700余名の江戸川べりの村で終戦後いち早く村政の民主化、平和郷建設に青壮年が立ち上がり、小川文章氏が村長に就任して以来メキ…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(6)

指導者入所式 農村時計工場 昭和22年03月01日 農村軽工業の技術指導者を大量に養成するため北葛南桜井村農村時計製作所では3月1日午前10時から同工場講堂に第三回指導者入所式を挙行するが、今回入所する研究生は宮城、群馬、埼玉、長野県農業会推薦の農…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(5)

家庭へ月2万個、クリスマスの見返り品ともなる 南桜井村の目覚まし時計 昭和21年10月15日 軍需品製造から急角度に展観、農村鉱業へと時計製作に切り変へた北葛南桜井村農村時計製作所では、目下、同製作所試案になる目覚まし時計製作に津島秀登社長が職場指…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(4)

農村工業化の技術の習得 昭和21年08月27日 再建日本農村振興化をはかるため北葛南桜井村農村時計工場では9月2日、東北、関東各県農業会選抜の農村青年百余名の第一回入所式を同工場で行ひ、選抜された農村青年は同工場で時計製作の技術を習得し、農村に帰…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(3)

見事製作に成功 9月中には1万個の目標 昭和21年08月12日 賀川豊彦師の提唱で全国農業会が大半出資し軍需工場施設を利用し見返り物資の時計工場に■換した北葛飾郡桜井村旧服部工場が3月28日、『農村時計製作所』として創立開始以来資材、労務の隘路を克…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(2)

時計工場の病院を公開 南桜井村に総合病院 昭和21年07月31日 国民健康保険組合の更生並びに予防医学の普及、既存軍需工場のぼう大な医療施設一切を生かした総合病院が近く北葛南桜井村農村時計工場に出来上る。 南桜井村農村時計工場は戦時中化学兵器増産の…

埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(1)

南桜井が“時計の村” 月産6万個の目覚ましを輸出 昭和21年03月30日 賀川豊彦氏多年提唱の「農村と機械工業の合一」がいよいよ北葛飾南桜井村に全国農業会の後援によって実現することになった。即ち南桜井裏の服部時計工場は数百万円を投じた巨大な施設と数千…

EUの理念の一つとなった友愛経済の発想―キリスト教伝道者・賀川豊彦―

(エース交易『情報交差点』2003年1月号掲載) 国際平和協会理事 伴 武澄 賀川豊彦が欧州連合(EU)誕生と関わりがあるといえば驚く向きも少なくないと思う。『死線を越えて』というベストセラー作家として知られ、貧民救済に生涯をかけたキリスト教伝道…

鈴木善幸氏の賀川豊彦への共感

松沢資料館の杉浦秀典氏が「故鈴木善幸前首相も青年時代に賀川豊彦の感化を強く受けていたんですよ。影山昇『青年鈴木善幸と漁協運動』(成山堂書店、1992)に書かれていました」とそのコピーを見せてくれた。鈴木善幸といえば、自民党の最高幹部の一人、東…

空中征服 2.煙筒文明の最後

賀川市長が、中央公会堂の就任演説の時に言い忘れたことは次のようなことであった。 「・・・諸君、今日のような非文明的な煙筒の都会に住んでいて、諸君は文明を味わっている積もりでおられるのであるか? 今日かりに、生駒山が噴火して、大阪はまったく昔…

空中征服 1.市長就任演説

「偉大なる大大阪の市民諸君、私はこのたびこの大大阪の市長として席を汚すことになりました。私はそれを光栄に思い、また不名誉にも思うております」 賀川豊彦が、大阪市長になったという号外が大阪150万の市民に配られたのは、3日前のことであった。そ…

「無私」の心で新事業拓け ポスト金融危機の新たなモデル

日本経済新聞2009年5月2日朝刊9面インタビュー「世界を語る」 世界経済を混乱に陥れた米国発の未曾有の金融危機。背景には利益至上主義の行き過ぎもあったが、新たな均衡点は見えないままだ。2006年にノーベル平和賞を受賞したバングラデシュ出身の経…