埼玉新聞に綴られた賀川の農村時計物語(7)

 おらが村自慢 北葛南桜井
   失業者のいない村 農村鉱業化に只管精神  昭和22年03月25日

 南桜井村は戸数1000戸余り、人口5700余名の江戸川べりの村で終戦後いち早く村政の民主化、平和郷建設に青壮年が立ち上がり、小川文章氏が村長に就任して以来メキメキ村民の気風もよくなり供米成績も前年度までは上がらなかったが、本年度割当供米の9513俵はほとんど米で3月初旬見事に完納、目下救国米供出に大童(おおわらわ)となっている。
 同村は戦争中軍兵器が新設され工員その他数千人が一挙に村におしかけたため村民の気質の悪くなり、加えて村政も保守的で常に村民が保守派と新興派で争いつづけてきたが、村政改革平和建設で村内の争いを一度に解消、農家のほとんどが耕地改良、食糧増産へと農業の指導で精進している。
 一方、同村は農業工業化の先駆者賀川豊彦氏提唱の農村時計工場が軍需工場の転換となったので、村民の子弟は農村工業技術の習得に同工場にほとんど就職、失業者のないのが村の自慢となっている。年産10万個、バリカン10万個の生産をあげ農村工業化に着々と成績をあげている。
 また教育面では国民学校の新築で校舎も充分なうえに今度、兵器廠講堂を無償で村へ譲り受け新設中学校校舎にそのまま使用出来る事に決定したので、新学制で校舎狭あいに悩んでいる付近町村の羨望の的となっている。
 なお県下産業組合の創立者故染谷保次郎翁の創業以来業績を上げている現農業会は郡下でも有名な成績を上げ、村政改革に歩調を合せ新井農業会長が先頭で農業改革、農業工業化に着々成果を上げている。