2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

(21)−中野総合病院

協同組合病院 購買組合の次に手がけたのが、組合病院でした。賀川が新川の貧民窟で診療所を開設して無料で貧しい人たちの病気を治したことは話しました。当時、貧困と病気は隣り合わせでした。貧しいから無理をする。無理をするから病気になったり、けがをし…

(20)−コープこうべ

コープこうべの誕生 賀川豊彦は1914年から1917年にかけてアメリカのプリンストン大学に留学します。アメリカから帰国した賀川を余人が真似できないのは神戸の貧民窟に帰るところです。賀川は社会活動を再開するのですが、その活動は質的に大きく変化…

(19)−農村の若者がつくった龍水時計

7 農村の若者がつくった龍水時計 リズム時計の源流は賀川豊彦が戦後、埼玉県葛飾郡桜井村(当時)に創業した農村時計製作所だったと話すと誰もがびっくりします。 現在の農協の原形をつくったのは賀川豊彦だった。1922年、福島県でキリスト教の伝道の傍…

(18)−協同組合が示す持続可能な経営

次に私がJA職員向けの雑誌「教育と文化」2009年9月号に書いたムハマド・ユヌスさんと賀川に関するコラムを紹介します。 協同組合が示す持続可能な経営 2009年3月、賀川豊彦献身100年でノーベル平和賞受賞者のバングラデシュのムハマド・ユヌ…

国連の国際協同組合イヤーに何を考えるか

協同組合といっても普段は生協ぐらいしか頭に浮ばない人が多いと思う。農協も漁協も林業組合も実は非営利の協同組合によって成り立っている。原則の「自助共助」精神」はどこへ行ったか。農協の漁協も国への依存度が高いだけでない。自民党の強力な支持団体…

世界連邦建設同盟理事会-1955年

謹賀新年。賀川督明さんが新春早々、写真を整理していたら「世界連邦建設同盟理事会-1955年」が出てきました。 賀川豊彦(前列左から3人目)