2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

社会運動の開拓者 村島帰之

大正6年夏、大阪府知事官邸の社会事業の集会で私は初めて賀川先生と相知った。それから44年、交友は絶えることなく、私の人生のコースはこの人を知った事により大きな影響を受けた。 私は44年前の初対面の日の事を忘れない。先生はアメリカ留学から帰朝…

世界連邦憲法シカゴ草案

世界憲法シカゴ草案 前文 全地球上の人民は人問が精神的卓越と物貿的福祉において向上することが全人類の共同目標であり、この目標を迫求するためには普遍的平和の実現が必要条件であり、更に平和の必須条件として正義の確立が必要とされ、平和と正義とは興…

金融危機で見直される共済 週刊「東洋経済」

週刊「東洋経済」(11/29)の今週号の特集は「共済と保険」。リーマン・ブラザーズ、AIGの破たんによる金融危機で日本の「共済」が健闘しているという内容で、賀川豊彦が協同組合による保険業参入を目指して失敗した70年前の出来事にも言及している。(…

近江の兄弟ヴォーリズ(3) 賀川豊彦

5 メリル・ヴォーリズとその周囲の人々は面白い群団組織を持っていた。それは矢張りヤンキー式の一種のデモクラシーである。ヴォーリズは今ではどうか知らぬが、極く最近まで自分の労作した収入に対してすら、全酬権を主張しないで従業員の合議制で凡てをや…

近江の兄弟ヴォーリズ(2) 賀川豊彦

2 兄弟メレル・ヴォーリズは人好きのする男である。私は彼の最初の時からの活動をよく知っている。彼が神戸衛生院に入った時と、殆んど同じ時に私は神戸衛生院を出て、明石の肺病院に入院した。 その後の彼の苦闘を私はよく『マスタード・シード』で読んで…

近江の兄弟ヴォーリズ(1) 賀川豊彦

思い出しても尽きないのは、安土城址の回想である。 私はあれほど美しい壮大な廃墟を知らない。比叡山から見た琵琶湖も美しいが、安土城から見た琵琶湖もまたまたなんとも言えない哀調があって美しい。 森が雑木でできているのが、いぢらしいばかりでない、…

日本のNPO歴史と現状

第2章 日本のNPO歴史と現状(1)日本の民間非営利組織の歴史的背景1.組織概念からみた歴史的特徴 NPOといえば何か新しいもので、日本の伝統から遠い存在であるかのように思われるが、必ずしもそうではない。営利を目的しない組織は、恐らくどのよ…

協同組合の先駆者(3) 平田東助

1849年(嘉永2)3月3日、山形県米沢市信夫町の伊東家に生まれた。藩医平田亮伯の養子となったが、離籍して別に一家を立てた。1869年(明2)藩の留学生として上京、大学南校(のちの東大)に入ったが、1871年(明4)ドイツに留学し、ドクト…

協同組合の先駆者(2) 品川弥二郎

1843年(天保14)閏9月26日、山口県萩市椿東区船津(旧長門国椿郷松本村)に生まれた。少年時代に吉田松陰の松下村塾に入り、その感化を受けた。 明治維新に際し京都に潜入して、その推進に尽くした。1870年(明3)普仏戦争視察のためにヨーロ…

協同組合の先駆者(1) 岡田良一郎

1839年(天保10)10月21日,静岡県掛川市(旧小笠郡倉真村)に生まれた。家は代々土地の庄屋をつとめ,父佐平次は二宮尊徳(別項)の報徳の教えを信奉して1848年(嘉永1)牛岡組報徳社をつくり、この地方への報徳結社普及のさきがけとなった…

世界連邦実現に向けた国会決議

「国連創設及びわが国の終戦・被爆60周年に当たり更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」 国際平和の実現は世界人類の悲願であるにもかかわらず、地球上に戦争等による惨禍が絶えない。 戦争やテロリズム、飢餓や疾病、地球環境の破壊等による人命の…

各国で広がる平和省設置運動

2008年9月16日「朝日新聞」の記事から 「平和省を」広がる輪 暴力抑止進める政府機関 家庭内暴力から国際紛争に至るまで、「争いごと」の抑止や暴力によらない解決を進める政府機関「平和省」の設置を求める運動が、約30の国・地域で広がっている。…

『貧民の帝都』 塩見鮮一郎

塩見鮮一郎『貧民の帝都』 (文春新書、2008年9月) 司馬遼太郎が語らなかった「坂の下の人々」〜『貧民の帝都』塩見鮮一郎著(評:尹雄大)から転載 明治維新の折、勝海舟と西郷隆盛の行った虚心坦懐の談判により江戸は無血開城され、無辜の民は救われ…

イエスの友会、月刊誌『雲の柱』の誕生

大正8年12月23日、の夜、神戸の海運俱楽部で賀川の友人たちは、賀川夫妻を主賓にして「伝道満10年記念会」を催した。賀川は謝辞をのべてから、 「大正9、10年は労働運動に専心するが、11年以降は、本来の職務として与えられた精神運動にかえる考…

世界連邦実現対話集会

日 時:2008年12月7日(日)午後2時〜6時場 所:学士会館202室 千代田区神田錦町3-28 (都営三田線、都営新宿線、半蔵門線 神保町駅A9出口すぐ)入場料:3,000円 プログラム次第 会長挨拶 植木光教(世界連邦運動協会会長、社団法人参議院協会会長) 理事…

『乳と蜜の流るる郷』について 武藤富男

賀川豊彦の小説『乳と蜜の流るる郷』は『家の光』昭和9年1月号から10年12月号まで24回連載されたものを単行本として昭和10年11月6日、改造社から発行された。農村問題の解決には立体農業と協同組合による以外に途がないことを主張し、その実行…

帝国経済会議に列して

大正13年4月、政府は(大震災後の)日本経済をいかに振興すべきかを糾明するために、学界、財界の一流人を網羅して諮問機関を設けた。それは帝国経済会議とよばれ、賀川も末広厳太郎、福田徳三などとともにその議員になった。 経済会議は永田町の首相官邸…

ロチェスター戦争(3)

ドクター・カガワの身体は、一体どんな風にできているのだろう。6ヶ月にわたって、このような精力的を維持していることが不思議であった。不思議であるのに、なお余裕を示して、空を飛び地を走り、ある時は1日のうちに11時間立ったまま、一つの集まりから…

ロチェスター戦争(2)

こんなにファンダメンタリストの人々が、賀川を攻撃したのは、今にはじまったことではない、前年の12月22日に、テキサス州アマリロでは、賀川が「進化」をいう言葉を使ったこと取り上げて、彼を無神論者だとラジオで攻撃した。これに類した攻撃はアメリ…

ロチェスター戦争(1)

賀川は1936年4月14日、ニューヨーク州のロチェスターに戻ってきた。ここでは故ラウシェンブッシュ教授の記念講座で講義をすることになっていた。 ところが、賀川の救霊運動、協同組合運動、平和運動に対して、アメリカの軍需品製造業者、在郷軍人団、…

The Story of Brotherhood

Dr. Kagawa's message in Cincinnati, Ohio, as released by The Co-operative League of Cincinnati. By TOYOHIKO Kagawa CHRISTIANITY stands for love, and the history of the Christian church was the history of brotherhood until the Reformation. …

大宅壮一の賀川豊彦素描 加山久夫

大宅壮一は少年時代に賀川豊彦と出会い、彼からキリスト教の洗礼を受けている。彼はしかし、『「無思想人」宣言』において、知識人の「帽子」としての思想を捨てるとともに、宗教についても、「無宗教で生きていくつもりである」と宣言し、つぎのように述べ…

一膳飯屋の天国屋開業(2)

無頼の徒、植木屋の辰は、女房子供を育てることも出来ないで、幾度賀川の世話になったかわからないのに、中村の盛業振りを見て羨ましく思った。11月30日の夕方、辰は酒の勢いに乗じて、天国屋にどなり込んで来た。「100円貸せ、飯屋をはじめる」と言…

一膳飯屋の天国屋開業(1)

賀川が一膳飯屋「天国屋」を開業する気になったのも、病人の世話でなく、もっと積極的に貧民窟の人々うるおしたいからであった。マヤス博士に相談して、資金の調達もついた。 賀川の住んでいる街の一町上の広い表筋に一件の店を借りた。開業の費用万端を賀川…

『死線を越えて』の発刊(4)

『死線を越えて』を書いた動機を話せとの御言葉ですが、困ってしまいました。明治40年の5月だったと思います−−−そうです、私が肺病で明石の病院から三河蒲郡の漁師の離れに移った頃、独りぼっちであまり淋しいものですから、私は小説を毎日書き綴ったので…

『死線を越えて』の発刊(3)

「小説でない」「中学生の作文だ」「テニオハまで無茶苦茶だ」「散文詩だ」と、一方で悪罵されながらも、洛陽の紙価を高めて、止まるところを知らぬ売れ行きであった。 そこへ、神戸の川崎、三菱造船所の2万6000人の労働者が、未曾有の大罷業を起こした…

『死線を越えて』の発刊(2)

『死線を越えて』は改造社の処女出版であった。大正10年10月に初版が出た。 「我国社会運動の唯一の新人賀川豊彦氏が、一大感激の結果、堂々1千枚の社会小説はなる。社会改造に全身を投げ出せる一青年が、炎々火の如き恋の苦悶を排し、滔々たる唯物主義…