スラム

歳月人を待たず 評論家石垣綾子さん追想

歳月人を待たず 評論家石垣綾子さん追想 松沢資料館研究員 米沢和一郎 資料館ニュース1997年3月1日号から転載 賀川豊彦を知る生き証人を尋ねて、思いで話を聞いている筆者は、数年前石垣綾子さんと会った。 欧米で、スラム救済の聖者賀川を書いたルポルタ…

貧民窟10年の経験 賀川豊彦

賀川豊彦は『人間苦と人間建築』の中で「貧民窟10年の経験」を次のように書いている。 最初の印象−−私の第一の驚きは貰い子の多いことでした。私は最初の年に、葬式をした14の死体中、7つ8つ以上はこの種類のものであったと思います。それは貧民窟の内…

帝国経済会議に列して

大正13年4月、政府は(大震災後の)日本経済をいかに振興すべきかを糾明するために、学界、財界の一流人を網羅して諮問機関を設けた。それは帝国経済会議とよばれ、賀川も末広厳太郎、福田徳三などとともにその議員になった。 経済会議は永田町の首相官邸…

1909年クリスマスイブ 牧野仲造

明治42年(1909)のクリスマスイブに、21歳の賀川先生が荷車に身の回り品を積み、引っ越していったところは、その50年前に屠殺場だった賤民部落でした。ここに住んでいるのは病人、身体障害者、寡婦、老衰者、破産者といった落伍者でした。 家賃は…