百三人の賀川伝

1909年クリスマスイブ 牧野仲造

明治42年(1909)のクリスマスイブに、21歳の賀川先生が荷車に身の回り品を積み、引っ越していったところは、その50年前に屠殺場だった賤民部落でした。ここに住んでいるのは病人、身体障害者、寡婦、老衰者、破産者といった落伍者でした。 家賃は…

私は質屋をやっている 熊谷政喜

先生は同じ時、「僕は日本で質屋もやっている」といった。義兄たちは「質屋?」ととんきょうな声を出した。質屋とは日本でもアメリカでも同じように高利貸しの別名である。先生はこう語った。 「そうなんです。ただしわたしんところの質屋や、金目のものでな…

ボクハマッテル 北村徳太郎

大正の末期、『死線を越えて』が全日本を動かしている頃、佐世保の教会は賀川先生を招いて伝道集会を開きました。私はその宣伝に工夫をこらし、大型の厚いダンボール紙を買ってきて、これに活字体で「賀川豊彦聖書講演会」と切り抜いて原版を作り、群青の絵…

偉人、偉人を知る 長尾己

すいなことをやる 今から約50年前、賀川豊彦君は宣教師マヤス先生に連れられて豊橋に来た。たしか君の19歳の時であったと思う。当時私の父長尾巻が豊橋で伝道をしていたので、君はしばらく私の家に寄食することになったが、当時の君は顔色蒼ざめて痩せ細…