2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

久宗立体農業研究所

庭プレス2010年10月号「立体農業」から転載します。 賀川の提案する立体農業を実践し、その体系化を試みた農民の一人に久宗壮がいる。久宗は1907年、岡山県久米町に生まれた。地元の農学校を卒業後、(財)大原奨農会農業研究所(岡山大学資源生物科学研究所…

労働者はなぜ8時間労働を求めたのか

8時間労働などというと昔の話のように聞こえるが実はそうではない。日本で労働時間8時間制が完全実施されたのは1997年からだからまだ13年しか経ていない。労働基準法に8時間労働が盛り込まれたのは1988年。長い移行期間があった。当時労働省を担当してい…

神戸ハーバーランド「八時間労働発祥之地」

八時間労働発祥之地のプレートには次のように書かれています。大正八年(一九一九年) 当時の川崎造船所の松方幸次郎社長が我が国で最初に八時間労働制を実施したことを記念してここに碑を建立した 平成五年(一九九三年)十一月 (社)兵庫労働基準連合会 …

賀川豊彦学会で山下日生協会長が講演

7月10日、明治学院大学白金校舎(本館9階92会議室)で第23回賀川豊彦学会が開催される。開催プログラムは以下の通り。 09:30 受け付け開始 10:00-10:05 挨拶 古屋安雄会長 1.<研究発表>司会 鈴木武仁(賀川学会理事) 10:10-10:45 賀川豊彦と諸宗教 野…

「賀川豊彦生誕地記念碑」除幕式のお知らせ

神戸市の賀川記念館から「賀川豊彦生誕地記念碑」除幕式のお知らせが届いた。記念碑は、神戸市兵庫区島上町1−2−10の石川株式会社前の歩道にすでに設置されている。 除幕式は7月10日(土)午前9時半から、中央区鍛冶屋町の川崎重工業労働組合に集合の後…

100年ぶりに復活する「天国屋」?!

「とかちの」での続きです。神戸の賀川記念館館長の賀川督明さんは、記念館の西隣に学生たちが集うフォーラムの場づくりを近く始めるらしい。これまで支援者の好意で六甲山麓の住宅街に居を構えていましたが、記念館から遠いこともあって、記念館付近で住ま…

太田治子さん賀川の文学を語る 10月世田谷文学館で

賀川豊彦がノーベル文学賞の候補になっていたことは昨年、毎日新聞のスクープ記事で広く知れ渡ることとなりました。ノーベル平和賞に何度もノミネートされていたことは有名ですが、「文学賞」は関係者の誰もが予想もしなかったニュースでした。 賀川豊彦記念…

賀川豊彦関係団体・協同組合連絡協議会と「あたたかいおカネ」

6月2日、共栄火災の会議室で、賀川豊彦関係団体・協同組合連絡協議会が開催され、協議会の会則などについて議論。今後、身100年記念事業に参加した団体に対して参加を呼びかけることになりました。 この協議会は献身100年記念事業実行委員会の賀川賞委員会…

連載「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎の世界を訪ねる」始まる

神戸市の鳥飼慶陽牧師による連載コラム「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎の世界を訪ねる」が5月20日始まりました。賀川豊彦献身100年記念事業のオフィシャルサイトはそのまま「Think Kagawa since 2008」とタイトルを変えて掲載、その中での連載です…

日生協からユニセフに3億7681億円

日本生活協同組合連合会(略称:日本生協連、会長:山下俊史)は5月20日、ユニセフ支援として全国の生協に呼びかけた募金総額が3 億7,681 万円(全国308 生協)になったと発表しました。集計を始めた1983 年度からの累計募金総額は、68 億6,400 万円。 なか…

蒲郡市の賀川豊彦療養地跡の石碑が完成

イエスの友会各位様蒲郡の鈴木慶三郎さんのお骨折りで、賀川豊彦療養地跡の記念碑が完成しました。そのときの竣工式の模様を鈴木慶三郎さんがまとめて送ってきてくださったので、お送りします。費用は、「一粒の麦」を再版する会が負担しました。こんどの夏…

エネルギー自給の村

Think Kagawaの執筆に行き詰まっているので、エネルギー自給の話題を提供したい。2年ほど前の書きため原稿フィイルに以下のようなコラムを書いていたようだ。「自立」というキーワードであり、賀川督明さんが関わるミツカンの機関誌「水の文化」に関連する…

(15)−献身・天国屋

新川の悲惨な生活をともにしながら、賀川はどうしてこういう貧困が起きるのか、どうしたらこういう貧困から脱却できるのか、考え抜きました。 まずは子どもたちの教育が不安となりました。親が親ですから、子どもたちはほったらかしにされていました。学校へ…

第2回 友愛公共フォーラム「友愛公共と環境:その思想と政策的展開」

第2回 友愛公共フォーラム テーマ:「友愛公共と環境:その思想と政策的展開」 日 時:2010年5月22日(土)10:00〜16:00(受付開始9:40〜) 会 場:TKP代々木ビジネスセンター 2号館(渋谷区代々木1-27-17) 本フォーラムは、「友愛」と「公共」という理…

(14)−献身・新川での一夜

新川での一夜 後に同志社大学の総長になる牧野虎次は賀川より20歳も年が上でしたが、賀川を終世、先生を呼んでいました。 ある夏の夜、新川で開かれた伝道集会で話をしました。集会が終わって、牧野は賀川の長屋に泊めてもらうつもりでいましたが、賀川は…

(13)−献身・幽霊長屋

賀川豊彦は1888年、回漕業者・賀川純一と徳島の芸妓・菅生かめの子として神戸に生を受けました。4歳の時、相次いで父母を失います。純一は徳島県の豪農の賀川家に婿入りしますが、本妻とは折り合いが悪く神戸でかめと生活していたのです。5歳の時に姉…

(12)−献身・涙の二等分

第二章 賀川豊彦の献身 涙の二等分 賀川豊彦は1919年に『涙の二等分』という詩集を発表しました。無名の伝道者の詩をよく出版社が本にしたものです。神戸市葺合新川の貧民窟に入ってまもなく、「貰い子殺し」という「商売」があったことを知り、なにより…

(11)−ロバート・オーエン再発見(2)

ロバート・オーエンは企業経営に関わる富の社会還元の手法を多く残した。地域通貨や労働組合などもそうだが、どうしても忘れられないのは協同組合的店舗経営だった。 協同組合は1844年代にマンチェスター郊外ののロッチデールで始まったものとばかり思っ…

(10)−ロバート・オーエン再発見(1)

2004年6月初旬に一週間ほど南スコットランドを歩いた。グラスゴーの酒場で一人の日本人に出会い、ロバート・オーエンのことが話題になった。近郊にオーエンが繊維事業を始めた場所で、いまでは世界遺産に登録されているニューラナークという場所があること…

劇画 死線を越えて―賀川豊彦がめざした愛と協同の社会

劇画 死線を越えて―賀川豊彦がめざした愛と協同の社会作者: 藤生ゴオ,大崎悌造,賀川豊彦献身100年記念事業神戸プロジェクト実行委員会出版社/メーカー: 家の光協会発売日: 2009/10/01メディア: 単行本購入: 4人 クリック: 27回この商品を含むブログ (1件) を…

34 「メノナイトの絶対反戦主義」(1948年12月)

山羊を送つてくれる人々 戦後日本に山羊や牛を親切に送つてくれる人々は、普通ブラザレンとよばれているけれど、実はメノナイトと称せられている団体に属しているのである。メノナイトは四百年以上もつゞいている誠に珍しい宗団で、絶対反戦主義キリスト教的…

33 「青年よ永遠の光源となれ」(1948年12月号)

フアウストは海に畑を作ることを夢想した。私は海に牧場を設くることを夢見る。太平洋に鯨を飼い、海豹を太西洋に養えば、世界の人口が百億になつても、食糧に窮することはないであろう。海洋を征服せよ、海洋を。黒潮に国境はなく、怒濤に民族性はない。日…

32 「真理の坑道」(1948年10月号)

真理の坑道の掘索に けさも 午前四時に起き上つたよ。 無理をして 無理が通らず 十年の克己なくして 真理の鉱脈を掘りあてることはできない。 あゝ 真理は 自制するもののみに組する。 急いで追いつかず 求めずして得られざる真理は 娼婦の如く求めざるに来…

31 「つゆ草の招宴」(1948年10月号)

初秋の野道小溝の側に露の玉を抱いたつゆくさが、私を甘露の宴に招待してくれた。太陽はまだ昇らず、松虫は昨夜からセレナーデを継続していた。 かやすがは縁の長細い葉を抛物線形に垂れ、かやつり草は清爽な姿を清水に写していた。密生したはこべは弾力性を…

(14)−献身・新川での一夜

新川での一夜 後に同志社大学の総長になる牧野虎次は賀川より20歳も年が上でしたが、賀川を終世、先生を呼んでいました。 ある夏の夜、新川で開かれた伝道集会で話をしました。集会が終わって、牧野は賀川の家に泊めてもらうつもりでいましたが、賀川は「…

30 「地球の覚醒」(1948年10月号)

――世界連邦国家の出発―― 春が来れば、蕾は開かずにはおらぬ。太陽が南から帰れば結氷は解けるものなのだ。霊魂の蓄が!そして人間の意識の結氷が不安定になつた日に全人類連帯の世界連邦の芽が生えるのだ。それを空想と笑つてはならない。誰れが南太平洋の喰…