労働者はなぜ8時間労働を求めたのか

 8時間労働などというと昔の話のように聞こえるが実はそうではない。日本で労働時間8時間制が完全実施されたのは1997年からだからまだ13年しか経ていない。労働基準法に8時間労働が盛り込まれたのは1988年。長い移行期間があった。当時労働省を担当していて非常にびっくりしたことを覚えている。
 国際労働機関(ILO)でその原則が区立されたのは1919年だから、1世紀近い労働者の闘いを経て実現したといっていい。その8時間労働が完全実施されると今度は「裁量労働」などという概念が多く導入されはじめて、われわれ新聞記者などは労働時間の概念すらすっとんでしまった。
 労働者たちが、なぜ8時間労働を求めたか。気になって調べると、オーストラリアで、初めてシドニー労働組合が1週間の労働時間を60時間から48時間に短縮することを勝ち取ったそうなのだ。当時は週6日労働だったから、48時間が1日8時間と計算されたことになる。この動きが全土に広がり、英領植民地にも拡大したのが、8時間労働の歴史なのだ。
 アメリカでは1886年5月1日に、合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)が、シカゴを中心に8時間労働制要求の統一ストライキを行ったのが起源だとされている。それまで1日12時間から14時間労働が当たり前だったようで、「8時間は仕事のために、8時間は休息のために、そして残りの8時間は、おれたちの好きなことのために」という目標を掲げたのだった。
 19世紀の欧米での労働運動の最大の要求は8時間労働だったのかもしれない。マルクスの指導した第1インターナショナル(国際労働者協会)もまた1866年、8時間標準労働日の法制定を世界の労働者によびかけた。アメリカで5月1日に8時間労働を求めたストを打った日はその後、第2インターナショナルによって労働者の団結とデモの日と決められた。メーデーの起源である。
 8時間労働の要求を加速させたのは、1917年のロシア革命だった。革命ロシアは1917年、全労働者に対して8時間労働制を宣言し、ILOの第1号条約の成立につながった。(伴 武澄)