2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

賀川豊彦のリンコルン(7)

欧米最近の精神運動 種蒔き運動今度の渡米は、私としては四回目であった。 N・R・A(国家更生法)の青鷲が無断にたたき落されたアメリカでは「二百四十億ドルの予算で、六十放以上の老人に月額二百ドルづつ与へて同月中に浪貸させてしまへ」といふ突拍子…

賀川豊彦のリンコルン(6)

米国精神の源泉雪解水でオハヨ河の大氾濫となり、各地に大洪水が出現した。三月の下旬は疾くと過ぎ私はペンシルヴェニア州の教化運動にかけ廻らねばならなかった。そして思ひがけず、リソコルンの一生に重大危機を画いたゲチスブルグの共同墓地を訪れること…

賀川豊彦のリンコルン(5)

スプリング・フヰルド雪道をまた十九哩東に走って、イリノイ州の首府スプリング・フヰルドに這入ったのは、電燈に灯が入ってよほど後のことであった。私の訪れて行った家は、リンコルンを弁護士の書生として採用したローガン氏の孫娘の家であった。私は妙な…

賀川豊彦のリンコルン(4)

リンコルンの店大雪の日の午後であった、ピオリアを出たのは。そこはイリノイ州の中央部ではシカゴに次ぐ一大産業都市で、人口二十万近くある処であった。 そこから九十哩ばかり東南に平原を走ると、ニュー・サレムの岡に達する。アメリカの土人の襲撃に備へ…

賀川豊彦のリンコルン(3)

ロックポート車は更に十哩ばかりオハヨ河に沿うて西南に走った。とある街路の傍に六角形の小さい銅製の記念碑が立ってゐた。それを見ると、「此処がリンコルンが青年時代、村の青年と一緒になって相撲をした処だ」と刻まれてゐた。歴史の乏しい合衆国では、…

賀川豊彦のリンコルン(2)

ピジョン・クリーク車はホゼンヴヰルより北に曲り、高原を七哩、オハヨ河の支流ソルト・クリークに下って行くと、そこにはリンコルンが七歳の時まで、足掛五年間苦労した小屋の建ってゐるところに出る。そこには実物の丸太小屋は建ってゐないが、昔になぞら…

賀川豊彦のリンコルン(1)

リンコルンの足跡丸太小屋車はオハヨ河に沿うて走った。渇った水だ、広い河だ。岸辺の葦はまだ枯れてゐた、柳はまだ芽を吹いてゐなかった。然し単調な平原と、整調の無い都会の屈線ばかり見てゐた私の眼には、間違ひなく水平的オハヨ河の河面が美そのものの…

賀川作品、ついに青空文庫に登場!

杉浦秀典さんのブログ「賀川資料館の雑芸員日誌 〜Days with Kagawa〜」によると、賀川豊彦の作品がついに「青空文庫」に登場したということである。現在、読むことができるのは『死線を越えて』3部作のみだが、これからどれだけ多くの作品が登場するか見物…

『医療組合論』第十五章 医療組合の組織方法

第十五章 医療組合の組織方法医療組合の出発医療組合は他の産業組合と異って、健康者を対象としないから、多数の組合員を持たなければ、一つの診療所、一つの病院を経営することは困難である。農民の如きは、人口千に対して十二人位しか病気してゐないから、…

『医療組合論』第十四章 医療組合の現状

第十四章 医療組合の現状農村に於ける医療組合発芽時代我国に於ける医療組合の発達は他の凡ゆる社会進化の過程に於けると等しく、全く自発的なものであった。しかも日本に特有な開業医制の欠陥の中より自然発生を見たものである。日本に於ける産業組合は明治…

『医療組合論』第十三章 医療組合による医療の社会化

第十三章 医療組合による医療の社会化個人医学の社会化日本に於る死亡率が、約五十年間、人口千に対して約二人位しか減退してゐないことは何を意味してゐるだらうか? これは個人医学の発達では、日本民族の死亡率を減退し得ないといふことを意味してゐるの…

『医療組合論』第十二章 結婚問題と医療組合

第十二章 結婚問題と医療組合国家の衰頑と結核国家の衰退するのは黴毒と結核と飲酒の三つによることは、衰亡した多くの民族を見てもわかる。アイヌの間に、またアメリカインデアンの間に、結核の患者の多いことは驚くべき程である。 悲しいかな、日本国民も…

『医療組合論』第十一章 予防医学と医療組合

第十一章 予防医学と医療組合 衛生学の立場より何故医者が六万人からあるのに、日本の死亡率は殆ど減らないか? 昔医者が、今日の五分の一乃至六分の一しかなかった時でも、その死亡率は殆ど今日と同じであった。これは実に皮肉な話で、人口は二倍にしかなら…

『医療組合論』第十章 開業医制度と医療組合

第十章 開業医制度と医療組合一本の注射料医療組合が収入を増すために注射しなくともいゝ薬を注射するといって、ある開業医が、組合病院を攻撃する。我々は彼等の認識不足を笑ふ前に、彼等が、新しい時代の社会意識に目ざめることの遅いのを悲しむものである…

『医療組合論』第九章 医師会と医療組合

第九章 医師会と医療組合民族衛生と罹病率の測定民族衛生の立場から考へて、医師の数は、一体どれだけあったらいゝだらうか? 昭和二年に於て日本の医師は人口一方に対して七人七分になってゐる。昭和四年三月内務省の発表したる約十三万人の農民についての…

『医療組合論』第八章 国民健康保険と医療組合

第八章 国民健康保険と医療組合 健康保険の基礎工事医療利用組合の使命が、窮乏せる日本を救ふに於て絶大な任務を持ってゐることは、たゞにそれが非常時日本の保健問題を解決する上に効果があるのみならず、それを基礎にして将来我国の医療国営の基礎になる…

『医療組合論』第七章 衛生組合と医療組合

第七章 衛生組合と医療組合衛生組合と医師会今日全国の都市に於て、最も発達したる保健運動の一は、衛生組合の普及である。どんな貧しい労働者街に於ても、月十銭から十五銭の金を取りに来ない衛生組合はない。衛生組合の組織は、殆ど半ば強制的のものであり…

『医療組合論』第六章 実費診療所と医療組合

第六章 実費診療所と医療組合明白なる差別世間では、医療組合運動を一種の実費診療運動の生れ変りの如く考へてゐる人もある。開業医諸君の比較的頭の古い人には、さういふ風に考へてゐる人が非常に多いやうに、私には見受けられる。 また、医療組合運動の根…

『医療組合論』第五章 医療国営論と医療組合

第五章 医療国営論と医療組合医療社会化と国営或人は医療国営をのみ考へて、医療国営の基礎としての医療組合運動を考へないものが頗る多い。税金による医療国営といふものにはある限度がある。財政上の立前からいって、医療国営は、医療組合の形式をとるほか…

『医療組合論』第四章 農村の無産化と医療組合

第四章 農村の無産化と医療組合農村の窮乏何といっても、日本は、家族制度の国である。都会で失業した場合に、村へ帰って行く国である。このことを認識しなければ、日本の失業問題は解決しない。 昭和二年(一九二七年)の不景気に日本に於ては数百万の市民…

『医療組合論』第三章 都市無産者と医療組合

第三章 都市無産者と医療組合都市医療組合の必要私が解しかねてゐることは、医師会の幹部や、ある人々が、農村の医療組合に賛成して、都市の医療組合に反対することである。それらの人々の考へでは、医療設備の完備してゐる都会、また医師の沢山集まってゐる…

『医療組合論』第二章 防貧策としての医療組合

第二章 防貧策としての医療組合 職業と疾病昭和五年、静岡県が県内一般に調査したものに依ると、同年十月現在に於て、人口千に対し平均十七人の患者があったことになってゐる。その内比較的少いのは農業及水産業であって各十二パーミル(千分比をこれより先…

『医療組合論』第一章 国民保健の危機

第一章 国民保健の危機国民保健の危機日本の死亡率は文明国としては一番高い。その理由に三つあらうと思ふ。 (一)国民の経済的収入の不足即ち一般的貧乏、(二)一般無産階級の衛生設備の不完全、(三)医療機関の偏在。 第一貧乏の問題は、東京市内に就て…

賀川豊彦の『医療組合論』その3

ほぼ4年間で全国に90もの組合病院・診療所が誕生したのだから、日本医師会で危機感が高まったのは当然のことであった。あらゆる手を尽くして妨害しようとした。 - 日本に於ける開業医の同業組合たる医師会は前述せる如く不当にも公法人の過遇を受け、その…

賀川豊彦の『医療組合論』その2

賀川豊彦が『医療組合論』の中で書いている「医療組合の現状」には驚いた。 「私達が、東京に医療組合会を作らうとする前、産業組合中央会で判明してゐた医療組合数は、確か十二三程だったと記憶してゐる。そこで私共は、それを基礎にして全国的調査をやった…

賀川豊彦の『医療組合論』その1

賀川豊彦は社会運動家として名を成したが、一方で社会の仔細な観察者でもあった。自分の目で見た社会を克明に観察し、それを文章として残したライターでもあった。20歳代に書いた『貧民心理の研究』は後に「差別書」として批判の対象となったが、スラムに…

『その流域』についての解説

一、著作の年代と梗概本書は昭和十年十一月三十日、大日本雄弁会講談社から発行された、『一国の文化は河川の流域に治うて栄える』という想定にもといずいて、阿波国、那賀川の流域からはじまり、一人の青年の各地における遍歴を描き、ついに郷里那賀川の流…

「人間建築」の大切さ(身辺雑記から)

「身辺雑記」の続きで「教会」の話がある。大正十一年六月の記述だ。 △大きな市に二十万円もかゝった大きな石造の教会が建つに就て或人が喜んで、「実に、立派な教会が出来ました!」と云ふので、私はかう附加えました。「石と煉瓦と鉄の棒で、造る教会は、…

1923年2月、神戸に復活共済組合を設立

大正11年11月の「身辺雑記」にイエスの友会で共済組合を組織するとの記述があり、その三ヶ月後には「設立」したという記述がある。えらく早い時期から賀川豊彦は「共済」を開始しているのに驚いた。「身辺雑記」は賀川のそれこそ身近で起こったことや思…

小説『その流域』のデジタル化

昨年末から、小説『その流域』のデジタル化を進めている。近く公開する予定である。(伴 武澄) 『その流域』は1935年11月、徳島県を流れる那賀川の流域の小学校分校を舞台にして農村の疲弊をテーマに賀川豊彦が書き下ろした「農村復興小説五部作」の…