『医療組合論』第十二章 結婚問題と医療組合

第十二章 結婚問題と医療組合

国家の衰頑と結核

国家の衰退するのは黴毒と結核と飲酒の三つによることは、衰亡した多くの民族を見てもわかる。アイヌの間に、またアメリカインデアンの間に、結核の患者の多いことは驚くべき程である。
悲しいかな、日本国民もこの傾向を多分に持ってゐる。結核による日本の死亡率は、増加こそすれ減ることはない。最近に放送協会の寄附によって、結核療養運動に僅かばかりの寄与があったとはいへ、そんな事で我国の結核運動は解決出来ない。何故、結核問題が医薬の進歩に拘らず重大化するか?  医者の数は数十倍にあり、開業医は病院の数を加へたにか与はらず、結核の増加率は年を逐ふて甚だしくなるではないか。今日結核で死ぬ者の数は一年十二万人にのぼり、肺病患者だけでも、日本の国に百万人以上あると推定されてゐる。数年前であったが東京市内に於て無料の施療を必要とする肺病患者が一万人あると推定されてゐた。肺病患者が百万人あるとすれば、日本に於て人口六十五人に一人は肺病であるといはねばならぬ。この重大なる問題を単なる医師会の問題として考へるには、国民は余りに責任を回避しすぎる。

結核増加の原因

結核の増加は、過労と栄養不良と、非衛生から来る。この三者とも予防医学に属するものであって医師直接の責任ではない。ドイツは欧洲大戦中、死亡率が千に対する十一位より廿七に上ったことがある。そしてその主なる原因が結核であった事を見ても、医師の手では死亡率の減退運動は、ある程度まで困難であることがわかる。つまり之を見ても、医療運動といふものは、医師が従たるべきものであって国民それ自身が衛生的に自覚することが主たるべきものである。然るに我国の最近の開業医間に於ける傾向は、医療設備の機関を開業医の先生にまかせ、国民の自覚に基く医療運動を防止せんとする傾向を持ってゐる。これは実に矛盾の甚だしいものであって医師と国民とはもう少し有機的関係を結ぶべき筈である。殊に結核療養運動の問題に就ては、栄養と、日光と、精神的慰安を主として、医師それ自身注意を与へさへすればいゝのであるから、医師は須らく患者の経済的負担を軽くすべき努力をなすべきだと思ふ。然るに悲しい哉、今日の有料療養所を見ると、あまりにも多く営利本位に傾いてゐるやうに思ふ(勿論、奉仕的にしてゐるものもないではないが)。私は、医師も職業だから、辯護士が儲け、発明家が儲けるなら、医師も儲けてもいゝぢゃないかといふ説をあまり肯定しないのである。辯護士も発明家も、医師も看護婦も、決して搾取的金儲けをなすべきではない。搾取的金儲けをしてゐる間は社会が混乱して、恐慌と失業を繰返すよりほかない。

消費的病者と中世紀法律

殊に、発明家とちがって、医師の事業は消費事業である。中世紀の法律は、金利をとることを許さなかった。その理由は中世紀の人人は、病気とか出産とか、葬式とかに多く金をかりたのであって、その使用の道が全く消費的のもので生産的のものではなかった。さうした消費的事件のために消費した金額から利子をとることは残酷だといはねばならぬ。
医療事業がさうである。殊に結核に関する恨り、その医療貨は全部消費的のものである。その消費的療養貨の中から金儲けをしようといふ思想は、まことに誤ったものであると私は考へる。我国の人民の約九割四分といふものは年収入二千円以下のものである。もし、一家族に一人の結核患者があれば、一日療養費三円払ったとして、収入の半分はとんでしまふ。せめて一日一円位の入院料によって療養し得る医療組合病院が出来るやうにならなければ、結核の医療運動は完成しない。
ところが日本の過半数の人々は収入五十円以下の人々である。こんな家庭に結核患者が出来た場合に、どこで保養するか、一家族の収入三十円以下のものであれば、方面委員が無料療養所に入れてくれるかも知れぬが、日本の無料病院はどこも満員である。かうした場合、我々は互助の力による医療組合を組織して、実質主義の療養所を日本の各地に作るよりほか道がないではないか。

私の経験

私は十四の時から肺病になった。そして約十年間苦しんだ。その間私は療養費のないために泣いた。勿論私は無料診療所にはいらなかった。そして日本の多くの俸給生活者は無料病院に入るほど自尊心を傷付けてはゐない。問題はそこである。『我等の病院!』。それが出来て、必要なだけ我々が支出し而も搾取せられてゐないとわかれば、我々も大に安堵して必要なだけは人から借りてきても支払ふであらう。
ドイツは、結核病床を二万七千も持ってゐることを私は聞いた事があった。勿論それは健康保険によってそれだけの病床を作ったのである。ドイツはこの健康保険組合の病床運動によって、一九一五年頃には人口千につき二十七位あった死亡率を戦争の終息とともに出が十一に減らしてしまった。かうした驚くべき保険制度は開業医制度のもとに出来るものではない。国家全体の保健運動が自治的になってをり、組合化されてゐる時に初めて可能なことである。我国の医事行政に関係してゐる人々が、かうした重大事実を無視して、我国の医事行政を完成しようといふのは絶対に無理な話である。
或方面のある医者の如きは、自分の所得を増すために、患者の入院日数を長引かす傾向を持ってゐる。結核の入院回数の長いことはよく知ってゐる。ことに病後の療養についていつも困難してゐる。これは、我々自らが経営する病院であれば、たとひ一日や二日長びかされてもその統計は表に出て来るから会計がどういふ風になったかがすぐわかる。それで損をしたといふ気にはなれない。然し無闇に療養日数を長くされては結核患者はたまったもんぢゃない。
生物界に於ける一つの現象は相互扶助である。この方式は医療組合にも応用が出来る。我々は結核療養にこの方式をあてはめ、患者みづからの組合組織によって日本に於ける保健問題の最大難関である結核療養問題を解決したいと思ってゐる。