2010-01-01から1年間の記事一覧

中之郷質庫信用組合の「貸付に関する十二章」

中之郷質庫信用組合設立にあたって創設者の一人、奥堂定蔵が書いた「貸付に関する十二章」がある。今の時代に読んでもなかなか含蓄がある。貸付係に対する日常生活から債権者との距離の置き方、はたまた「直観力」などという表現もある。信用組合でなくとも…

Kagawa Fellowship House

上北沢の新宿よりに桜上水という京王線の駅がある。かつて、その駅の南側にKagawa Fellowship Houseがあった。アメリカのKagawa Fellowship Committeeを仕切ったヘレン・タッピングが住み、賀川豊彦の事業を世界に広める広告塔となった。 米沢和一郎氏の「賀…

眼が見えないことは不自由でない

『暗中隻語』の序から『御不自由でせうね!』『何がですか?』『眼がお見えにならぬことは』『人間に翼の無いことも不自由ですね――然し、翼が無くとも飛行機を発明すれば、翼があるのと同じでせう。眼の場合だってさうです。外側の眼が見えなくなれば、内側…

「Worldcat」が賀川豊彦関連の国際的な出版状況を網羅(2)

前日の続きである。かの有名な賀川豊彦の英文秘書となったヘレン・タッピングの著作もまた「Worldcat」で紹介されている。 http://www.worldcat.org/wcidentities/np-topping,%20helen$b%201889 Most widely held works by Helen Topping 『Love, the law of …

「Worldcat」が賀川豊彦関連の国際的な出版状況を網羅

「Worldcat」という英文の図書館サイトに賀川豊彦関連の国際的な出版状況を網羅するページがあるのを見つけた。 http://www.worldcat.org/wcidentities/lccn-n81-84278 587の作品(本と論文)が21の言語で891社から出版社され、10,348の図書館に保存されてい…

『太陽を射るもの』のデジタル作業で感じること(2)

アマゾンのフランス語版を眺めてみたら、フランス語版の『死線を越えて』が売られていることが分かった。フランス語は分からないが以下のようなことになっていることをお伝えしたい。賀川の著作は『Brotherhood Economics』が25カ国で発売されているほか、翻…

『太陽を射るもの』のデジタル作業で感じること

先日お伝えしたように『死線を越えて』3部作をPDH化した。とりあえず、それぞれのPFD原稿はOCRを掛けてあるから「一定程度」の検索は可能となっている。PDF原稿はそのままでも十分に判読に耐えうるが、このままではデジタル化したことにはなら…

神戸の賀川記念館を朝日新聞記者が激評!

賀川豊彦の思い継ぎ、人がつながる場に 神戸の記念館【朝日新聞兵庫版2010年11月28日】 http://mytown.asahi.com/areanews/hyogo/OSK201011270188.html 神戸・三宮から国道2号を東へ歩くとほどなく、桜並木で知られる新生田川に出合う。百年の昔、21歳の…

毎日新聞「今週の本棚」に『Think Kagawa ともに生きる』

今週の本棚・新刊:『Think Kagawa ともに生きる−賀川豊彦献身100年記念事業の軌跡』(賀川豊彦記念・松沢資料館/家の光協会・1575円) ◇『Think Kagawa 賀川豊彦は明治〜昭和期に活躍したキリスト教思想家、社会運動家で、1960年に没した。「献身1…

「自らの力で雇用を創れる」のが協同組合

再び「JA教育文化」から転載したい。北星学園大学経済学部の田渕直子教授が2012年の国連協同組合年について思いを書いている。あらためて思い起こされるのが「自らの力で雇用を創れる」のが協同組合だという信念である。昨年の賀川豊彦献身100年記念事業で一…

神戸の賀川記念館に「天国屋」復活

賀川豊彦の志継ぐ天国屋カフェ 住民憩う場に【神戸新聞2010/11/09 15:45】 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0003594634.shtml 日本を代表する社会運動家の賀川豊彦(1888〜1960年)が貧困者の栄養改善のため、100年前に開いた食堂「一膳(…

産業組合に遡る農村と医療の結び付き

引き続き協同組合医療について書きたい。JAは厚生連の下に約100カ所の病院を経営しているが、「厚生連」ということの意味さえ忘れ去られている。かつて全国厚生農業協同組合連合会編『協同組合を中心とする日本農民医療運動史 前編:通史』という研究書が…

協同組合病院の嚆矢は島根県の日原共存病院

家の光協会が発行している「JA教育文化」に協同組合医療の先駆者として島根県の大庭政治世のことが紹介されていた。賀川豊彦が中野総合病院を協同組合で経営を始める前に先駆者がいたことが分かった。現在のJA石西厚生連の日原共存病院であるが、2008年1…

伴氏が「賀川豊彦と欧州連合」をテーマにJCCU講演

JCCU協同組合塾2010年度第4回例会のご案内テーマ: 「賀川豊彦と欧州連合」 1935年12月、賀川豊彦がアメリカのロチャスター大学で行なった講演「Brotherhood Economics」は、世界の27カ国で出版されました。賀川のこの思想は特に欧米の人々に大きな影…

尖閣諸島を共同管理に 世界連邦四国ブロックが宣言文

世界連邦運動協会の四国地区支部は10月31日四国ブロック大会を高知市で開催し、欧州連合の発端となった欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)にならって「尖閣諸島を国際管理してはどうだろうか」という宣言文をまとめ発表した。日中の共同管理ではない。資源をめぐる…

賀川没後50年で徳島でシンポジウム【10月22日徳島新聞】

「Brotherhood Economics」の本当の意味

その昔、故賀川純基さんからいただいた資料が最近ひょっこり出てきた。「Brotherhood Economics」に関するA4版の数枚のレポートだ。日付は1997.12.19となっているから10年以上も前に書かれたものである。読み返してみて、友愛という日本語がどうもしっくり…

『Think Kagawa ともに生きる』11月1日発売

10月22日、賀川豊彦献身100年記念事業の報告書が予定通り刷り終わった。発売は11月1日です。印刷部数は3000部。は献身事業を支援しえていただいた団体・個人に配布しますが一部は書店やネットを通じて購入可能となります。松沢資料館でも販売します。一部15…

友愛公共フォーラム(30日)で鳩山前総理が日本の外交を語る

尖閣諸島沖で中国漁船衝突事件が起こり、日中間の緊張がまして、 現在、大きな問題になっています。これは、友愛外交や東アジア共同体構想にとっては、 大きな試練と言うことができるでしょう。そこで、今回は「友愛公共」という理念からグローバル・ ガバナ…

世田谷文学館シンポジウム「賀川豊彦の文学」2日目

世田谷文学館での賀川豊彦没後50年記念講演会・シンポジウムは24日、「賀川豊彦の文学〜その作品の力」と題した2日目のシンポジウムが開かれた。加山久夫氏の司会のもとに、田辺健二・鳴門市賀川豊彦記念館館長、森田進・恵泉大学名誉教授、濱田陽帝京大…

世田谷文学館シンポジウム「賀川豊彦の文学」で太田治子さん講演

10月23日、世田谷文学館で賀川豊彦没後50年記念講演会・シンポジウムが開催。初日は作家の太田治子さんが「賀川豊彦 その愛」と題して講演した。 太田さんは太宰治の娘として多くの著作を上梓してきたが、NHK日曜美術館の司会アシスタントとして1976年に…

29回世界連邦日本大会 札幌2010

10月21日、札幌市サンプラザで29回世界連邦日本大会・札幌2010が「世界連邦の実現〜日本の役割を考える」をテーマに開催され、全国から約300人が参加した。 冒頭、世界連邦運動協会の海部俊樹会長があいさつし、大田雄三・カナダマッギル大学教授が「カナダ…

「文学者の賀川」再注目【10月21日東京新聞】

田川大吉郎(たがわ・だいきちろう)

田川大吉郎(1869-1947=明治学院総理、中ノ郷質庫信用組合初代組合長) 明治2年、長崎に生まれ、20歳で早稲田大学の前身東京専門学校を卒業。18歳のころから筑水生のペンネームで報知新聞に論説を書き、矢野龍渓に認められて大学卒業後、同社の論説記…

有馬頼寧 ( ありまよりやす )

1884年(明17)12月17日,東京都中央区日本橋蠣殻町(旧日本橋区)に生まれた。父は久留米21万石の藩主頼万。東京帝国大学農科大学を卒業後,1年有半欧米各国の農村を視察して1911年(明44)帰国し,農商務省産業組合課に勤務して産業組…

安部磯雄 ( あべいそお )

1865年(元治2)2月4日,旧福岡藩士岡本権之丞の次男に生まれた。1884年(明17)京都の同志社を卒業,1891年(明24)渡米してハートフォード神学校に学び,さらにドイツのベルリン大学に学んで帰国し,はじめ同志社,ついで早稲田大学の…

黒川泰一 ( くろかわたいいち )

1902年(明35)4月24日,福井県に生まれた。1915年(大4)14歳のとき志を立てて上京,働きながら学ぶ生活に入った。関東大震災直後上京した賀川豊彦(別項)とめぐりあい,その薫陶を受け,社会運動を天職と決めた。家具生産組合書記,消費…

黒沢酉蔵 ( くろさわとりぞう )

1885年(明18)3月28日,茨城県常陸太田市(旧久慈郡世矢村)に生まれた。15歳で上京,21歳で京北中学を卒業したが,その間,渡良瀬川流域鉱毒難民救済運動に参加した。1905年(明38)母を失い,心機一転して北海道に渡り,札幌で牛乳請…

福井捨一 ( ふくいすていち )

1871年(明4)12月12日,長崎市に生まれた。長崎外語学校を卒業して海運業界に身を投じ,逓信大臣となった内田信也と親交があった。当時労働組合がストライキ闘争によってのみ労働者の生活を守る方向にあったのに対し,賀川豊彦(別項)は労働組合…

那須善治 ( なすぜんじ )

1865年(慶応1)6月21日,愛媛県西宇和郡保内町川之石に生まれた。1899年(明32)大阪の実業界に進出して大阪に転籍,その後さらに兵庫県神戸市東灘区住吉町に移った。第1次世界大戦中に一相場師として巨万の富を得たが,その後感ずるところ…