神戸の賀川記念館を朝日新聞記者が激評!

 賀川豊彦の思い継ぎ、人がつながる場に 神戸の記念館朝日新聞兵庫版2010年11月28日】

 http://mytown.asahi.com/areanews/hyogo/OSK201011270188.html
 神戸・三宮から国道2号を東へ歩くとほどなく、桜並木で知られる新生田川に出合う。百年の昔、21歳の若さでその先にあった貧しい街に身を投じた信仰の人、賀川豊彦。「一人は万人のために 万人は一人のために」。この春リニューアルした賀川記念館には、独特の仕掛けがあった。

 行き倒れの人に布団と食事を与える。医者に診せる。仕事を紹介する。地域福祉に始まった賀川の活動は、労働運動や平和運動などおよそ「運動」と名のつくものすべての草分けになった。ノーベル平和賞文学賞の候補にもなった。

 記念館の展示は、賀川の多領域にわたる活動の紹介に絞った。「豊彦の(不遇な)生い立ちにはフォーカスしたくなかったの。批判的継承が大事だし、豊彦を支えた周囲の人に光を当てたかったから」。賀川の孫で館長の督明さん(57)はこう説明する。

 「見るだけで終わり」ではなく人と人がつながる場に――。そんな願いは、併設の「天国屋カフェ」に託した。今からちょうど百年前、賀川は「一膳飯(いちぜんめし)天国屋」を作った。貧しい人々に破格の値段で食事を提供したが、「おそらくは商売敵に壊され」(督明さん)、3カ月で閉鎖。賀川は「毎月十圓(えん)以上缺損(けっそん)するのと一寸(ちょっと)悪魔が這入(はい)ったので」と1911(明治44)年の年報で報告し、「金が出来たらまた開きたい」と書いた。

 カフェは週3回、ボランティアが運営。9月には月1回の「ナイトカフェ」も始めた。障害のある人、引きこもりの人、今の社会で居心地の悪さを感じている人が集い、触れあい、社会は、そして未来はどうあるべきか、語り合う――。そんな気づきの場に育ちつつある。

 車が激しく行き来するかいわいを歩いても、ベストセラーになった自伝小説「死線を越えて」で賀川が描いた世界を想像することはできない。しかし、「自己責任」の名の下に切り捨てられてゆく人々に何を実践するべきか。「考える材料はすべてここにある。賀川の精神は、決して古くなっていない」。督明さんの言葉が心に残った。(日比野容子)