2009-01-01から1年間の記事一覧
神戸市長田区で「番町出会いの家」という日本で一番小さい教会を維持してきた鳥飼慶陽牧師。栄えある第1回賀川賞を受賞した。在家の牧師として、働きながら地域に貢献してきた。21年前に賀川豊彦の評伝「賀川豊彦と現代」を出版したときの共同通信の「時の…
12月22日の記念式典では、第1回賀川賞の授賞式が行われた。献身100年事業に参画した団体、個人を対象に「賀川豊彦はいますか」を推薦を求めた結果、7団体、8人が栄誉ある受賞者となった。 バレンタイン・チャリティ(代表 森田真央=推薦団体:共栄火災会…
「愛の行動」受け継ごう 【2009年12月23日神戸新聞朝刊】
23日の四国新聞コラム「一日一言」に続いて「産経抄」がクリスマスイブにちなんで賀川豊彦を取り上げた。手前みそだが、イブ=賀川豊彦が連想されるようになっただけでも賀川豊彦献身100年記念事業を始めた意義があったのではないかと喜んでいる。(伴武澄)…
ポートピアホールでの記念式典では、日野原重明先生の講演に引き続き、今井鎮雄神戸プロジェクト実行委員長、野尻武敏神戸大学名誉教授を加えた鼎談「賀川豊彦の何を継承し発展させるか」が始まった。 85歳の野尻先生が「最若手の僕から」と話し始めると会場…
賀川豊彦献身100年記念事業神戸プロジェクトは22日、神戸市のポートピアホールで記念講演会を開催し、聖路加国際病院の日野原重明先生が「賀川豊彦献身100年を機に、いま私たちにできること」と題して講演し、1700人収容のホールがほぼ満員となった。 …
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/article.aspx?id=20091223000059 〈賑(にぎ)やかに「クリスマス」「クリスマス」と騒いで居る中を、午後二時頃から栄一は植木に助けられて、引越をした〉。社会運動家・賀川豊彦が自らと栄一を重ねて書い…
「賀川豊彦の文学──神戸・仲間たち・神の国」 期間 12月17日(木)〜 3月22日(月) 1906年、徳富蘆花の「目を開け(自覚せよ)、疑いを起せ(考える)、責任を帯びよ(為せ)」の講義の聴衆の中に、明治学院生賀川豊彦の姿があった。 その後、住いが…
青山学院大学経済学部教授の本間照光先生(共済の専門家)の記事が、週刊「エコノミスト」誌に掲載されました。4ページにわたって賀川の紹介が詳しく書かれています。是非お買い求め下さい。また各協同組合様など、機関である程度の部数をまとめ買いして頂…
雑誌「家の光」1月号に「賀川豊彦がまいた種」と題して小文を書かせてもらった。振り返ってみると賀川豊彦についてはこの1年、かなりの頻度で取り上げられた。特に毎日新聞が「ノーベル文学賞の候補だった」と報じたインパクトは大きかった。 賀川豊彦とい…
『賀川豊彦とボランティア』が神戸新聞社から復刻された。賀川の一番弟子として行動を共にし、終生、神戸のイエス団を守った武内勝が口述した内容を36年前に村山盛嗣さんが執筆して出版された本。多くの苦難を乗り越えながら、救貧、防貧活動にいそしむ若…
http://kagawa100.blog.shinobi.jp/Entry/80/ 賀川資料館の雑芸員日誌 〜Days with Kagawa〜 写真は、中野駅南口歩いて数分のところにある、中野総合病院前にある公園にたたずむ胸像である。しかしよく見ると、なんとこの像は、賀川豊彦なのである。本来は眼…
創立者賀川豊彦が社会・平和への献身活動を始めて100年になる茅ケ崎市富士見町の平和学園(中山洋司学園長)賀川村島記念講堂で12日、クリスマス・チャリティー・パイプオルガンコンサートが開かれ、市民や生徒、保護者ら約500人が華麗な音に耳を傾け…
賀川豊彦の精神、次世代へ 記念館完成祝い竣工式 【神戸新聞】 日本を代表する社会運動家賀川豊彦(1888〜1960年)の理念を受け継ぎ、事業展開の拠点として建てられた「賀川記念館」の竣工式(献館式)が12日、神戸市中央区吾妻通5の同館で開かれ…
三宅廉医師のパルモア病院のことについて書いていたら、12月10日の日本経済新聞夕刊文化面で佐久総合病院の色平哲郎さんの記事が出てきた。「患者に寄り添う」医療を目指してきた日本の良心の一人である。言うことやることが何やら三宅廉医師に似ている。佐…
3年後、三宅は目のない子どもに会いに千葉県まで出かける。授かった子どもを15歳まで面倒をみるのがパルモア病院の一貫した方針なのだ。 積もる話の後、にこにこ笑っていた三宅が母親に向かってゆっくり話だした。思いがけない厳しい言葉だった。 「ヘレン…
次はパルモア病院で目のない赤ちゃんが生まれた時の話だ。感動的である。 出てきた胎児を見た瞬間、産科医の李は血が引く思いがした。目が引っ込んでいて眼球がなかった。25年間、産科医をして初めての経験だった。それぞれの実家から来ていた祖父母たちは…
AMAZONで『パルモア病院日記』を購入した。絶版だったので古本市場で探したら、たったの「1円」だった。読み終えて5000円でも読みたい本だと思う。手放した人は主人公の三宅廉先生の理解が足りなかったはずだ。人にも勧めたいと思っている。 そんな気持ちで…
10/15夕方、同志社大学で、「大学生協と賀川豊彦」の講演会がありました。筆者が講演に招かれました。「くらしと協同の研究所 事務局日記」のブログに紹介してくれています。ありがたいことです。(伴武澄) http://blog.livedoor.jp/kki/ 大学生協と賀川豊…
11月3日(火・祝)に開催されましたシンポジウム「賀川豊彦の実践とその思想−公共的活動のあり方を考える−」の動画配信を下記のサイトで行っております。ご自由にご覧ください。http://tamiken.arrow.jp/kagawa/091103-0.htmlセッション1:賀川豊彦の自然観と…
「本を枕に-スピリチュアルな日々」というブログに劇画『死線を越えて』の紹介がありました。http://amendo.exblog.jp/11684776/ 教会の牧師からある本を紹介されました。今月初めの発行。 劇画『死線を超えて』--賀川豊彦がめざした愛と協同の社会 (発行:…
きのうに続いて『賀川豊彦から見た現代』の中から医師の三宅廉さんの「いと小さき者と賀川豊彦」を読みたい。三宅さんもまた賀川のコーワーカーの一人である。 賀川の書いた『涙の二等分』という詩集については多く書かれているが、賀川の幼児教育については…
10年前、賀川豊彦連続講座委員会が教文館から出版した『賀川豊彦から見た現代』を読み返してなかなか含蓄のある講演録であることに気付いた。東京市社会局長の後、大学で教えていた磯村英一さんの「いま、なぜ賀川豊彦なのか」の一節の内容を紹介したい。磯…
12月1日〜25日までは、「賀川豊彦献身100周年展」。協同組合運動の父である賀川豊彦が神戸の貧困地域で献身的な活動を始めてから今年で100年となるのを記念したもの。30枚のパネル展示とDVD上映を行っている。 「新年の喜びと各地の文化」となうった全国…
賀川豊彦の理念を継承し、多彩な事業を展開する「賀川記念館」が1日、神戸市中央区吾妻通5に完成した。旧記念館が築後45年を経て老朽化したこともあり、賀川が神戸で救貧活動を始めて100年になるのを機に建て替えた。 鉄筋5階建てで、1階は貸室、2、3…
11月28日、東京の東商ホールで開催されたシンポジウム「賀川豊彦とともに明日の日本と協同組合を考える」には500人を超える人が集まった。JENの木山啓子さんの途上国支援にかける熱意と元週間子どもニュースの池上彰による好司会で盛り上がった。果た…
生協法改正(2007年)を受け、日本生協連は、全国の会員生協とともに共済事業を専門に行う「日本コープ共済生活協同組合連合会」(略称:コープ共済連)を2008年11月に設立しました。 食品などの商品供給事業と共済事業の分離を行うことで、契約者保護の一層…
全労済が取り組む労働者共済事業は、1950年前後から、労働組合や生協関係者の間に労働者福祉運動の一つとしての共済事業に関する関心が高まり、1954年12月、大阪の地で始まりました。 翌1955年には新潟で、また1956年には富山、長野、北海道、群馬、福島にも…
■昭和26年1月31日創設 全共連創立時には賀川豊彦氏を顧問に迎え、農協の共済事業が農村の自立資金の蓄積につながることを農民に訴える講演会や、農協職員の教育の講師をお願いするなど、農協の共済事業の普及・発展にお力添えをいただきました。 また、関東…