威厳捨て患者に寄り添う 色平哲郎さん

 三宅廉医師のパルモア病院のことについて書いていたら、12月10日の日本経済新聞夕刊文化面で佐久総合病院の色平哲郎さんの記事が出てきた。「患者に寄り添う」医療を目指してきた日本の良心の一人である。言うことやることが何やら三宅廉医師に似ている。佐久病院は戦後、若月俊一医師が賀川精神に影響されて立ち上げた病院。現在はJA長野県厚生連の傘下の協同組合病院である。
 10年以上も前から筆者の友人だが、賀川賞を創設するなら色平さんも有力な候補者の一人となるのだろうと思いながらブログを書いている。(伴 武澄)

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 威厳捨て患者に寄り添う
  色平哲郎さんに聞く

    【日本経済新聞2009年12月10日夕刊】

 村人と酒を酌み交わし、祭や葬式、道の補修に飛び込んだ

 長野県は住民が長命。しかも1人当たり老人医療費が全国一安いと評価されてきた。医師と看護婦が自宅訪問や予防に力を入れ、「長野モデル」といわれる地域医療を確立させたからだ。先頭に立つ佐久総合病院(佐久市)は山間の診療所にも医師を派遣、その一つが南相木村にある。
「初めて南相木村に来た時、江戸期の感覚が残っていると感じた。自分の生き方を自分で決める、そんなどっしり構えた“野生”の老人たちに会え、学ぶことが多かった」
 同村は人口1100人、高齢化率は40%近い無医村だった。色平哲郎さんは診療所長として家族5人で移り住み、昨春まで10年暮らした。自宅の電話番号を公開していつでも診療に応じ、患者宅を気軽に訪ねた。
「村人は年老いても、自分でできることは人のためにやってあげたいと常に思っている。拝金主義やテレビ情報に振り回されない立ち振る舞いがあった。医師はそんな自立した村人と寄り添えばいい。都会では得られない醍醐味です」
 高度成長を経て都会では消えた「お互いさま、おかげさま」の支え合いの世界である。妻の嘉須美さんは若妻会に入り、色平さんはその義父母を診察する。夫妻で情報交換し、村社会独特の襞に納得する。
「村では身内とよそ者とまず分けるのですが、だんだん身内になってきたと思う」
 住民の気持ちを伝えてくれた案内人にも恵まれた。前任の南牧村診療所で出合ったベテラン女性保健師である。性急に事を運んではならないと言われた。
「村の人に言いたいことがあってもまず10分の1にすること。そして10回通えばいいと教わった。(院長の)若月俊一先生が話していた『民衆には3歩では早過ぎる。1歩前へ』と同じだと思った」
 若月院長は1945年に東京から現在の佐久総合病院に赴任。農村医学を唱え、地域医療に生涯を捧げた。76年にマグサイサイ賞を受賞。同病院に中庭に銅像が建つ。
「例えば、診察に来たばあちゃんが気になるので自宅に行く。いきなりその家の戸口に白衣で現れたら、ばあちゃんは驚いてしまう。なぜ来たか聞かれたら、紅葉がきれいなので眺めていたと話す。そこから世間話を始める。もちろん白衣はなんか着ない。お茶を頂き、気安い関係になると、実は、とやっと体調の話をしてくれる」
「医師の威厳」をいったん脱ぎ捨てる。日々の活動が医療への疑問につながった。

 人の暮らしを丸ごと受け止めていきたい

 広辞苑で、医療は「医術で病気をなおすこと」とある。医学会では「医学の社会的適用」とよくいわれる。
「だいぶ違うと思う。広辞苑の定義に『患者に寄り添うこと』と加えたい。これはケア(介護)だと見られがちだが、実はキュア(治療)とケアは語源が同じ。ラテン語のクーラです。うなだれた戦士の内面のことで、彼の憂いを共有する気持ちも含まれる」
 心身が傷ついた状態を目の前にして、それにかかわろうという姿勢が医療や介護の基本だと言う。
「相手のつらさをまず受け止め、人間として人間の世話をすることなのです。気にかける、心配する、あるいは他人の幸せを準備するということです。一言で言えば、配慮ある見守り。南相木村には、こういう心がありましたね」
「人間としてのケアは、医師が特権化されるはるか前から実践されてきた。その治療に関する技術的な部分が医学・医療としてすくいあげられたにすぎない」
 医療の原点を知ったのが、フィリピンでの衝撃的体験だった。医学生として、バングラデシュ出身の保健師の地域実習に同行。
「石〓の代わりになる草を教え、下痢をした患者にはスープの作り方を指導する。すぐに役立つ医療的な知識を住民に次々と与えていった。だけど、僕には何も分からない。大学で教わってきた医療ではない。人の世話をする人としての姿勢に気付かされた。本当に驚いた」
 その5歳年上の保健師、スマナ・バルアさんは医師となり、今、世界保健機関(WHO)に所属、アジア各国を飛び回っている。

 介護職とチームを組んだゼロ次医療の普及を

「病院から来ました」と、玄関先で明るむ声をかけて患者の自宅を回る色平さん。南相木村診療所から佐久総合病院に移り、佐久市内を担当している。患者の身体を触りながら「ここが痛みますか」と尋ね、見守る家族から近況を聞き出す。
「まず生活を知ってから医療に入るべきだと思う。そのためには自宅を訪問するのがいい。食事や寝室、家族関係など患者を取り巻くいろんな状況が一目で分かる。人の生活の中で、医療はちょっとした助っ人にすぎない。主役はそのその人なのに、いったん患者になると、途端に医師が主役に変わるのはおかしなこと。地域医療とは、医療の一分野というより地域の一役割です」
 健康な人にも普段のかかわりが大事だという。診療所や訪問診療が1次医療で地域の拠点病院は二次医療、大学病院など高度医療が3次医療。もう一つ、健康な人への保健・予防活動、すなわちゼロ次医療が欠かせないと話す。
「そもそも人の幸せとは何だろうか。僕は、好きな人と好きな場所で暮らすことだと思う。それを中心になって支えるのは、医師というより看護と介護。保健師訪問看護師と介護職の連携が必須。医療と福祉の垣根を取り払い、チームで取り組むべきでしょう。特権化した高度医療志向の医師たちを、チームで担う地域医療に振り向けるような政策を期待したい」(編集委員 浅川澄一)