2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧
「ロッチェスターの戦争」といふ初号の見出しを、保守派の宗教新聞がつけている位、故ラウゼンブッシュ教授の記念講演は、私が同市に行く前からセンセーションを起こしていた。 あまり人の批評を気にしない私も、、学校が学校だけに、先方に対して気の毒だと…
賀川豊彦の海外での評価は日本では想像もできないほど高いようだ。米沢和一郎氏が長期に渡り欧米各地の大学などを調査したのが唯一の日本語での記録で、それでもすべてを網羅しているとはいえそうにない。それらによるとKagawa Fileの名の資料が多くの大学に…
「賀川豊彦・人と業績」という賀川を紹介する格好の冊子がある。松沢資料館の発行で編者は長男の純基氏である。この冊子はもともとは1960年、賀川をノーベル平和賞に推薦する目的で編集されたことは知られていない。現在の冊子の見出しは以下の通りであ…
北斗星(9月26日付) 「東京の本部に立派な胸像があるが、『生協の父』だけでなく、こんなにすごい人だったとは」。先ごろ秋田市であった賀川豊彦を紹介する講演と映画「死線を越えて」の上映後、県生活協同組合連合会の役員が閉会あいさつで打ち明けた▼…
松沢資料館の杉浦秀典氏から「会報 第二号」と題したA4のコピーをもらった。「賀川豊彦ノーベル平和賞候補推進委員会」の会報なのだが、ノーベル財団に対して賀川を平和賞に推挙する運動が国内にもあったことに少々驚いた。日付も主催者も書かれていない一…
賀川豊彦の名を世界的にしたタッピング一家 長岡輝子 資料館ニュース1997年12月1日 明治の終わりから大正、昭和にかけて大人になった日本人で、賀川豊彦の名前を知らない人はいないでしょう。それに反して、その背後で彼を支え続けたアメリカ人宣教師タッピ…
歳月人を待たず 評論家石垣綾子さん追想 松沢資料館研究員 米沢和一郎 資料館ニュース1997年3月1日号から転載 賀川豊彦を知る生き証人を尋ねて、思いで話を聞いている筆者は、数年前石垣綾子さんと会った。 欧米で、スラム救済の聖者賀川を書いたルポルタ…
瀬戸内海の十字路に位置する香川県土庄町豊島。日本が抜き差しならぬ戦争への道を歩もうとしていた70年前、自由な言論活動を封じられた賀川豊彦は、この島で事実上の軟禁生活を送った。 起居した館の裏山の灌木(かんぼく)を抜け、稜線(りょうせん)を20分…
賀川豊彦がノーベル文化賞の候補だったという驚くべきニュースに接し、賀川が目指すべき国のあり方として北欧諸国について語っていたことを思い出した。賀川豊彦記念松沢資料館で、賀川が共訳したM・W・チャイルヅ著『中庸を行くスヰーデン−世界の模範国』(…
祖父・豊彦を語り始めたグラフィックデザイナー 賀川督明さん(56)=2009年9月20日、朝日新聞朝刊「ひと」 「自分さえよければいい、という人があふれる今の社会は、もう限界にきている」 祖父でノーベル平和賞、文学賞の候補になった社会運動家、賀川豊…
日本が維新後の近代化を40余年ひた走った… 【西日本新聞・春秋】と題して西日本新聞が一面下に賀川豊彦の「ノーベル文学賞候補に関するコラムが掲載された。 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/122741 日本が維新後の近代化を40余年ひた走った19…
■シンポジウム「賀川豊彦と友愛の社会構想−公共的活動のあり方を考える−」 日時:11月3日(火・祝)13:00〜17:00 場所:キャンパスイノベーションセンター東京・1F国際会議室 参加:参加自由【資料代として500円】(予約不要)シンポチラシダウンロード:PDF…
敗戦直後のころ、賀川豊彦の『死線を越えて』を読んで夢中になったことが忘れられない。スラムにのりこんだ主人公が、悪戦苦闘のすえ庶民の心にとけこみ、しだいに社会運動めざめていく健気な生き方が、賀川自身の体験にもとづいて生き生きと描かれていた。 …
地球平和公共ネットワークから以下のコラムを部分転載します。 http://global-public-peace.net/archives/156 2009年8月30日の衆議院選挙で、民主党308議席(193議席増)、自民党119議席(181議席減)というように、民主党が歴史的な勝利を手にして、政権交…
賀川豊彦といっても、若い世代にはもう無名に近い存在になっているのではないか。それがいささか淋(さび)しい。敗戦直後、かれの「死線を越えて」を読んで、全身が震えるような感動を覚えたことが忘れられない。 貧民窟(くつ)にのりこんだ主人公が悪戦苦…
9月13日、毎日新聞朝刊に「賀川豊彦 1947、48年とノーベル文学賞候補だった」が特ダネとして報じられると、その日のうちに読売新聞と共同通信が後追いした。地元徳島新聞も共同通信の記事をウエブにアップした。Googleで検索すると14日朝までに、20近…
9月13日付け毎日新聞意社会面に、賀川豊彦が1947、48年とノーベル文学賞候補だったことを明らかになったと報じられた。献身100年記念事業以外に賀川への関心が向けられたのは初めてだ。嬉しいニュースであるので、全文転載させていただく。 http://mainichi…
賀川豊彦 幻の講演録 73年ぶりに邦訳 今も古びない「第3の道」 満州事変(1931)から日中戦争(1937)へ向かうさなかの1936年、伝道者賀川豊彦(1888〜1960)が米国でセンセーションを巻き起こした講演録が、このほど73年の時を経て邦訳され、『友愛の政治…
見直そう賀川豊彦 映画やフォーラム【朝日新聞徳島版9月3日】 徳島で幼少期を過ごした社会運動家、賀川豊彦(1888〜1960)が貧民街で救済活動を始めてから、今年12月で100年。これを機に賀川の活動と思想を改めて見直そうと、今月から12月…
9月復刻されたばかりの賀川豊彦著『乳と蜜の流るゝ郷』(家の光協会)が農協(JA)関係者の間で注目されている。特に小説の舞台となった福島県のJAでは「協同組合の本来のあり方を易しく教えてくれる格好の教材」との評価が高まり、総代会で組合員に配…
カール=ハインツ・シェル氏のハイデルベルグ大学博士論文を翻訳した「賀川豊彦-その社会的・政治的活動」が、刊行された。ドイツ語圏の知識人から見た、「賀川豊彦」の評伝である。是非、お買い求め頂きたい。ご購入は、教文館ブックフェアまで! 尚、表紙…