『中庸を行くスヰーデン−世界の模範国』の訳者序から 賀川豊彦

 賀川豊彦がノーベル文化賞の候補だったという驚くべきニュースに接し、賀川が目指すべき国のあり方として北欧諸国について語っていたことを思い出した。賀川豊彦記念松沢資料館で、賀川が共訳したM・W・チャイルヅ著『中庸を行くスヰーデン−世界の模範国』(豊文書院、1938年)を見出した。賀川のスウェーデンに対する思いは訳者序に託したい。以下、訳者序である。
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 何を言ってもスヰーデンで最も驚くことは、犯罪率の非常に少ないことである。刑務所に行く者は、1年間を通じて約1100人であり、(日本は12万6000人)殺人犯は10年間平均でも約11人くらいだと記憶している−−1931年恐慌時には少し悪かったが−−そのためにストックホルムは刑務所を廃したと聞いている。その筈である。妊娠に対しては妊娠保険組合があり、病気に対しては疾病保険組合があり、癈疾に対しては癈疾保険組合があり、老人に対しては養老年金制度があり、死亡に際しては生命保険組合があり、日用必需品は搾取なき消費組合から求め、住宅は搾取を離れたる住宅組合から借り、又世界一立派な生命保険組合が営利を離れて無産階級の生命保険を司っている。それは被服は手工組合で織り、教育は中等程度まで義務制であり、それより以上は、学費の半額まで政府の補助がある。政府は軍備を廃して教育費にそれを使用する。こうしたところに窃盗の必要がない。梅毒患者は実に僅少になり、アルコールの遺伝は少なく、変質者が全くない状態であるために、世界に珍しい道徳国が出来上がったのである。
 こういう国では泥棒をすると損をする。僅かばかりの金、50円か100円の金を盗んで、国民としての何万円かの権利を失うことが厭であるからである。実際国民というものは生活権と労働権と教育権を保証してくれるならば、そんなに多く罪を犯すものではない。
 スヰーデンはルーテル教会一つで殆んど固まっている。その信仰はかならずしも進歩的ではないであろう。しかし、30年戦争を指導した人々が、スヰーデンから出たくらいであるから、その熱狂的信仰はチュートン民族のうちでも特異なものである。
 スヰーデンの女は白皙人種のうちでも最も世話女房的典型であると言われている。非常に柔和で温順である。紐育に居る日本人でスヰーデンと結婚しているものが、500組以上あるとある人が言うていたが、スヰーデン人はそれ位、人種を超越して人を愛し得る力を持っている。勿論スヰーデンは数百年間、フィンランドを領有して、蒙古人種を雑婚した過去の経験も持っていることは事実である。しかし、それらの人々はフィンランドに残っていて、スヰーデンには純粋のチュートン民族だけが現存している。
 私は1936年の旅行で、スヰーデン人のやさしいことに驚いた。禁酒、廃娼の民族が、このように柔和な民族になるのだということを始めて知った。
 スヰーデンの芸術は、今日フランス及びアメリカを風靡している。その特徴は建築及び彫刻に顕れている。スヰーデンの建築は街路に面して屏風形に建っている。その独創的な発明には、私も吃驚した。しかし、光線を得るためにはこれが一番いいのだ。又美的である。面白いのは芸術ばかりではない、自然科学の分野に於いてもスヰーデンは大きな貢献をなしつつある。植物学はスヰーデンから始まった。リンネがその創始者である。寒帯農業もスヰーデンが最初研究に手を着けた。寒帯地に於ける小麦の適種を選別したニコルソンの貢献は不滅である。光学に於いて光線の波長を測定するのに、アングストロームという標準尺度を用いる、それは一粍の1億分の1を意味している。このアングストロームこそはスヰーデン人の名であって、アングストローム氏の創始したものである。通例「Å」という記号を使用して、1アングストロームの記号として使用している。
 然るに最近になって、スヰーデン人ゴールド・シュミット博士は結晶化学に於いて一大発見を遂げた。彼は米国のボーリングと並び称せられる有名な結晶体の学者である。彼は結晶体内の原子の大きさを測定した。即ち水素の大きさは1・5Åであり、炭素は0・77Å、窒素は0・53Å、酸素は1・4Å等々と明確に測定を完成したのはスヰーデン人であった。
 スヰーデン人ヘデンの中央アジア探検の勇敢なる記録は世人のよく記憶するところである。又近代心霊科学の進歩によって、スヰデンブルグの真価が益々認められて来た。彼又天才的スヰーデン人である。
 20世紀の初頭、ノルウエイが、スヰーデンより独立せんとした時、スヰーデン人は喜んでノルウエイに独立を与えた。それでノルウエイの国家は、スヰーデンに対する感謝の言葉から始まっている。嘗て国際連盟に於いて、ブラジルが、理事国の一つになりたいと主張して譲らなかった時、スヰーデンは喜んで理事国たる名誉を自ら辞退し、ブラジルをそのあとに据えた。スヰーデン人は個人として麗しき道徳をもっているのみならず、国際道徳に於いても世界稀に見る標準を保持している。
 平和200年、このスヰーデンは地球の表面に於いて最も理想に近い、社会的水準を我々に示していると考えざるを得ない。東洋平和の実現に努力している日本は、大にスヰーデンに学ぶところがなくてはならぬ。この書の翻訳は専ら島田啓一郎氏の努力によったものである。私はただこれを原書と照らし合わせて広く所々筆を入れたにしか過ぎない。
 原著は米国の読書界に於いて広く読まれた名著である。幸にして日本に於いてもこの名著が広く読まれるなら此上なき仕合せである。
 昭和13年10月13日 賀川豊彦