2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧
『死線を越えて』(4月7日)に続いて、賀川豊彦の復刻版の第二弾、『空中征服』が不二出版から4月28日ごろ出版されます。賀川は『死線を越えて』で、大正期のスラムの貧困という重いテーマに取り組みました。『空中征服』も当時の大阪の公害問題や市政…
「ウイリアム・メリル・ヴォーリズ展」 4月4日−6月21日 パナソニック汐留ミュージアム (港区東新橋 パナソニック電工ビル4F) ウイリアム・メリル・ヴォーリズ(1880−1964)は日本近代において独特の存在感を放っている建築家です。 アメリカ・カンザス…
賀川の活躍が、あまり広い範囲にわたるので、賀川の本領があいまいなものに見えたりするが、キリスト教の福音伝道こそ賀川にとって、生死を賭ける大事業であった。賀川は貧民窟でも、労働運動でも、また平和運動でも全力でたたかった。しかし、死場所は、先…
1945 戦争は終わった。8月19日(日)、賀川は松沢教会の講壇からざんげの心をこめて戦争の罪悪を反省し、新しい方向は「世界国家」の建設であると説いた。8月30日、読売報知に「マッカーサー総司令官に寄る」一文を書き、日本民族の特異性をのべ、今後…
1902 賀川豊彦が、平和思想を抱くようになったのは「聖書」をよみはじめてからである。仏教徒古い伝統に生きていた1900年代の日本において、「聖書」をよむことは冒険であった。ことに、両親を失って、伯父の家に寄寓していた賀川が、「聖書」をよむことは無…
1919 消費組合というものは、生産階級と消費者が結びあって、社会的秩序と互助組織を作るものであり、そうすることによって商業上の投機もなくなり、労働階級からの搾取もなくなると、賀川は確信した。そこでまず、大阪に購買組合共益社を、1920年には神戸購…
1918 賀川が2年8カ月のアメリカにおける神学研究をおえて帰国したころは、イギリス流の労働運動が日本ではじまり、「友愛会」という名が漸く労働者の口にのぼるようになっていた。賀川はすすんで友愛会に加入し、労働者と接してその生活にふれることができ…
1909 日本で最も大きく、しかも悲惨な貧民窟である、神戸市葺合区の新川に入った賀川は、神戸神学校の学生であった。彼はロンドンにおけるトインビーホールの事業を想起しながら、彼自身を技師としてその実験場に住んだのであった。彼のしごとはキリスト教の…
季刊『at』第15号【特集:賀川豊彦 その現代的可能性を求めて】 日本近代を代表する社会運動家にしてキリスト者、ベストセラー作家でもあった賀川豊彦は、戦後社会においてほとんど忘れ去られている巨人である。貧困救済から始まった彼の膨大な業績の中に何…
有田一彦さんのブログ「ARecoNote」に『空中征服』の読後感が出ている。多分この手の感想文は小生のものの他見たことがない。非常におもしろいので前段部分を紹介したい。その続きはぜひ有田さんのブログで楽しんで下さい。 賀川豊彦著 改造社 1922年(大正1…
賀川豊彦献身100年を記念して賀川豊彦のベストセラー『死線を越えて』が4月7日、PHP研究所から復刻されます。哲学者、山折哲雄氏が「復刻に寄せて」を寄稿、大正時代の大ベストセラーがいま甦ります。献身100年プロジェクトではすでにこの出版を告知…
宗教学者の山折哲雄氏が2007年1月28日付京都新聞に掲載した「ソフィア」で、『「神とひとつ」信仰 再評価を』と題して賀川豊彦について語っている。一部転載したい。 - 賀川豊彦といっても、若い世代にはもう無名に近い存在になっているのではないか…
3月7日から3日間の日程で「持続可能な社会づくりにおけるソーシャルワーク」をテーマにESDシンポジウム in Kobeが神戸大学などで開催された。ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏を招いた講演を中心に神戸大学の大学院生らが準備した。初日は学…
上野谷 これから加代子の部屋にユヌスさんをお呼びします。二人の話を聞いていかがでしたでしょうか。テーマは「ESDに資するソーシャルワークのの現在・過去・未来」。阿部先生の本から言葉から紹介します。「昨日に目を閉ざす者は真摯に今日は生きること…
Q ソーシャルワークとソーシャルビジネスの違いは A お金を持っているほど銀行は相手にしてくれる。現在、世界の人口の3分の2の40億人は銀行システムの外にある。銀行は信用力がないというが、われわれは挑戦している。マイクロクレジットは世界の1億…
Q グラミンの雇用について教えて欲しい A まずいきなり支店長になるコースがある。修士取得者以上の人で、幹部候補生である。次いで一般行員コースは高卒者。この二つのコースがある。後者は少しずつ上がり支店長になることもある。 Q きのうのセッション…
阿部志郎氏のスピーチ 1995年1月17日午前5時40分、この地は激震に見舞われた。6434人が命を失った。この知らせは全世界に伝わった。南カリフォルニアの救世軍はすぐに救援隊を組織して空港に集まった。日本政府から受け入れの準備ができないと…
野上神戸大学学長 ESDは聞き慣れない言葉。Education for Sustainable Developmentの頭文字。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会の新しい委員たちがそもそもESDとは何か聞かれた。ESDの具体的な中身はそれぞれのテーマで違う。意見交換…
ESDシンポジウムin Kobeに3日間参加して、ムハマド・ユヌスさんはソーシャル・ビジネスの伝道師だと考えた。貧困救済の手法を自ら編み出し、国内はおろかいま世界に発信し伝えることを使命にしている。100年前、賀川豊彦がスラムに入り、小さな頭をめ…
多国籍企業がわれわれの活動に理解を示し、実際に合弁を組むようになって世界はようやくソーシャルビジネスに注目してくれるようになった。グラミン・グループは数年来、フランスのダノンと食品会社を経営している。最初にかわした契約には利益を取らないこ…
銀行システムのおかしさは貧しい人に貸さない、女性に貸さないということである。私はそれがおかしいと考えた。だから、マイクロクレジットを始めるときに半分は女性に貸そうと思った。 ところが実際に村に行くと、女性は「いらない」といった。理由は「お金…
持続可能な開発のための教育(ESD)を考える「ESDシンポジウム イン 神戸」の第二日が八日、神戸・ポートアイランドの神戸国際会議場で開かれ、バングラデシュの貧困層を救う活動を続けるムハマド・ユヌス氏らが講演した。 ユヌス氏は一九四〇年生まれ…
賀川豊彦献身100年記念事業の4大シンポジウムのうち、神戸での8日のムハマド・ユヌス氏の講演が近づいてきた。講演会のチケットはすでに「完売」(もちろん無料だが)、事務局はうれしい悲鳴をあげている。世界的な経済危機の中で日本は雇用の維持が難しく…
新刊案内「生活協同組合研究 2009年2月号 賀川豊彦と現代」 生活協同組合研究 2009年2月号 Vol.397「賀川豊彦と現代」 主な執筆者:野尻武敏、加山久夫、濱田 陽 2009年は,21歳の賀川豊彦が神戸のスラム街であった新川に入って100年目となる。それを記念し…
賀川豊彦について学んで6年になる。献身100年で記念事業実行委員会で筆者もお手伝いをしている。神戸と東京の賀川ゆかりの記念館に最近、韓国からのお客さんが増えていると聞いていたら、韓国でも“賀川豊彦献身100年”の顕彰事業を行うというニュース…
ソーシャル・ビジネスは投資に対して配当を期待しないビジネスだ。そんなものがこの世に成り立つはずがない。誰もがそう考えるだろう。だが、フランス食品大手会社、ダノンのフランク・リブー会長はいたって真面目にバングラデシュのグラミン銀行とパートナ…