挨拶

 野上神戸大学学長

 ESDは聞き慣れない言葉。Education for Sustainable Developmentの頭文字。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の国内委員会の新しい委員たちがそもそもESDとは何か聞かれた。ESDの具体的な中身はそれぞれのテーマで違う。意見交換で違いがあっていい。違いがあった方が未来に向かって違った実践ができるということになった。共通の理解は地球上の人類が連携をしながら未来が安全で平和であるよう一緒に考えていくための教育をするということだった。
 とりわけ大切なのが人と人とのつながりを教育の視点から考えることだ。ESDの下で連携して教育する営み。神戸大学賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会とジョイントして、ノーベル平和賞受賞者のユヌス氏を迎えてシンポジウムが開けることを嬉しく思う。
 ESDは日本が提唱したもの。責任を持って我々が子孫のために努力する営みを続けなければならない。これまで2回シンポジウム開催してきた。前回は国連大学長のファンヒンケル氏、今回はユヌス氏を迎えた。ソーシャルワークとソーシャルビズネスに視点を当てて考えてみようと思う。ソーシャルワーカーの原点である賀川豊彦の実践、阿部志郎氏の実践を中心にシンポジウムを組み立てている。献身100年委員会、文科省などの多大な協力で実現した。神戸の地から未来にむかっての新たな営みが発信できることを祈っている。

 今井鎮雄・賀川豊彦献身100年記念事業実行委員会神戸プロジェクト実行委員長

 賀川豊彦の名前を若い人たちは覚えていないかもしれない。神戸で生まれ徳島で育ち東京で勉強し、その後神戸に帰って、新川の貧民窟に入った。いまでいう契約社員だとか失業者が住んでいる中で、この人たちと一緒に住むためには生活協同組合をと考え、いまのコープこうべをつくった。貧しい農民のために農民組合をつくった。むかしの新聞に「運動と名のつくものすべては賀川が始めた」と書いてある。当時、アメリカで出版された本に「Tree Trumpets Sound」というのがある。三つのトランペットはマハト・マガンジー、シュバイツアーと賀川。この3人が世界の曲がり角でトランペットを吹いて私たちに新しい社会の指標を与えたというのだ。賀川先生はいろいろなことを考え実践した。亡くなってから先生を記念して賀川記念館を神戸につくった。いま古くなり、立て替え中だ。賀川を追憶するのではなく賀川が考えたことを新しい時代に考え直す仕事をしよう、新しい時代に提案できる場をつくりたいと考えてきた。
 いまムハマド・ユヌス教授を迎えます。教授の始めの仕事はマイクロクレジットといって日銭のない農村の女性に小さなお金を貸すことだった。自分で原料を手に入れて自分でつくって自分で売ることによって暮らしを向上させる。同時にソーシャルビズネスといって、金もうけのためではなく社会のために還元する社会をつくろうと提案している。自分たちのためだけを考える資本主義ではいまの時代もうやっていけない。分かち合うとはどういうことかを実験している。ユヌス教授は経済学者であるとともに実践家でもある。目の前にあることから遠い将来に向けてどういう世界つくるかまで考えている。ソーシャルワークという言葉の中には社会を開発していくという意味を含んでいる。これこそ賀川が望んだことだと考えた。
 嬉しいことに神戸大学がこの「限りない前進」を考えていた。賀川記念館から発信しなければならないことと一緒だ。めずらしい組み合わせだ。大学とわれわれ、そしてユヌス教授である。先人達がどれほど苦労しながら、どういうふうに世界を切り開いてきたかというを考え、そのことを私たちが身をもって追って事実を考えていく、その役割の決心をすることのこの会である。記念館は12月に完成する。賀川が新川に入ったのは21歳のとき。それから100年。兵庫県知事も神戸市長も神戸から新しいことを発信することを一緒にやろうといってくれている。
 今日を出発点に新しい時代を切り開いていくその夢をみんなで一緒に考えることができることを感謝したい。