2014-01-01から1年間の記事一覧

黎明55 

クリスマス・カロル 雪が降る! 真白い雪が降る! 野山に、河に、雪が降る! 醜い荒地ははみな蔽はれた。風が吹く、寒い冷たい北風が! 魂の髄まで凍ってしまふ。蛙も蛇も穴の底に潜り、梢の葉もみな落ちてしまった。小鳥も餌をあさるために雪の底をほじくる…

黎明54 認識論に就いての瞑想

認識論に就いての瞑想 認識の方法 認識の方法は心を用ひて宇宙の実体を探らうとするにある。心の中心は、この場合、生命、力、変化、生長、選択、法則、合目的性を綜合したものの中、特に選択、淘汰力を借りるよりほかはない。そして物が実体であるか、物の…

黎明53 宇宙一元

宇宙一元 宇宙一元の真理を、今日の科学者は、物理学の実験室から説明するやうになった。カリフォルニヤ大学のローレンツ教授の発明によるサイクロトンによって、あらゆる元素を水素原子に還元することが可能になった。そしてその水素原子はエネルギーの波に…

黎明52 最微者への奉仕

最微者への奉仕 今はもう故人となられたが、私が会った多くの日本婦人のうちで私に最も大きな感化を与へてくれたのは、神戸養老院創立者である寺島のぶえ女史であった。彼女は。僅か十三歳のときに結婚を強ひられ、結婚して一晩のうちに逃げ帰って来たといふ…

黎明51 宇宙精神と日本精神

宇宙精神と日本精神 宇宙的日本を作るか、日本的宇宙を作るか、日本は今や迷路に立ってゐる。日本の新聞も雑誌も、日本的宇宙を作ることに急であって、宇宙的日本を忘れてゐるかの観がある。何々教、何々教、何々主義、何々主義はみなその為に忙しい。 しか…

黎明50 魂の芸術家ジョン・バンヤン

魂の芸術家ジョン・バンヤン バンヤンの偉大さは民衆と歩いたところにあります。いや、民衆の為に。良心と共に歩いたところにあります。 ハンヤンの譬喩は、ほとんど天才的です。板に着いてゐます。キリスト以来、バンヤンほど明瞭に、福音を民衆に解り易く…

黎明49 聖書の感化力

聖書の感化力 浴槽の聖者 このほど物故せられた内山佐(たすく)氏は、全く奇蹟的な生活を送った人であった。彼は九州帝大の病院で、施療患者として十数年の間、消毒薬の這入った浴槽の中で文字通りの苦行をした。それはかうである。 或る目、彼の身体に小さ…

黎明48 小説『富士』

小説『富士』 それは深い魂の画布に塗られた最高の芸術である。日本の最大の愛の使徒、故岡山孤児院長石井十次氏が、嘗て著者蘆花を評して、彼は魂を描くが故に七百年の寿命を保つと云ったことがあるが、誠にその通りである。彼は魂の髄の底を描いた。彼は魂…

黎明47 愛の常識化

愛の常識化 秋の空は晴れてゐた。東京深川区清澄公園の空さへ晴れてゐた。その日丁度教化事業に関する相談会が清澄公園で催されてゐた。その序に、私は一言だけ、浜園町のテントにゐる人々が気の毒だから、この冬床を張ってあげなければならぬことを述べた。…

黎明46 貧民窟の女

貧民窟の女 貧民窟の女性は、一般的に云って、極めて叛逆性に乏しい。強い意志に向っては、それが善であらうが、悪であらうが、いつも何等の抗争なしに唯々として屈従して行く傾向を彼女たちは多分に持ってゐる。さうした傾向には種々な理由がある。 貧民窟…

黎明45 中江藤樹とキリスト教

中江藤樹とキリスト教 帝大で宗教の講座を受け持つ姉崎博士が、英文の『日本宗教史』を書いてゐられるが、その中、日本の儒教とその関係について書いた処に、中江藤樹のことが出てゐる。そこには、中江藤樹がキリスト教の感化を受けたことが書かれてゐる。中…

黎明44 人種戦争と宗教

人種戦争と宗教 人種の融和点 私は現実の問題をみつめる。果してこの後、人種間の闘争が経済闘争より大きくなるか? 私はさうは思はない。アブラハム・リンコルンが北米の黒人を解放した時に、黒人種の人口は約八百力と推定せられた。これが今日では千三百万…

黎明43 キリスト劇について

キリスト劇について 最初、佐藤紅緑氏の戯曲「キリスト」が『大阪毎日』に出た時、私は佐藤氏の苦心を思うた。佐藤氏は勿諭キリスト研究の専門家ではない。それで研究的にいへば色々と問題になるところもあらうが、キリストについてあれだけの理解をもち、あ…

黎明42 常識による環境の支配

常識による環境の支配 知識の限度 引力の発見者ニュートンは、われわれの知識を、太洋を前にして、岸辺に池を掘る子供等に譬へた。われわれの知識は、その子等が掘る砂の池にも等しいのだ。――小池に這入った僅かの水を、われわれが喜んでゐるうちに、大洋は…

黎明41 物質の彼方への信号

物質の彼方への信号 魂よ、お前は。どうしてこんな不思議な世界に生きてゐるのだ。お前は、狭い世界に囲まれて、呼吸のつまるやうな生活をつづけてゐるが、目を瞠って、お前の周囲を見よ。そこには、土と。雑草と、松と。笹と、小鳥と、花と、星が、おまへの…

黎明40 隠れた善事

隠れた善事 神戸の新川細民街に私が生活してゐた時、一人の青年労働者と知己になりました。青年は琺瑯鍋の熟練工でありました。父がゐない彼は、まだ丁年に充たないが、既に一家の柱石となって、病身の母と虚弱な弟妹の扶養の責任を負うて居りました。 細民…

黎明39 科学的互助愛による自力更生

科学的互助愛による自力更生 空地の利用 遅れてゐる農村の自大更生は、なかなか容易ではない。殊に、土地を持ってゐない地方の自力更生は、三つの方法をとるより仕方がない。第一は、村から少し離れてゐる処でもかまはない。自転車に乗ってそこを開発に行く…

黎明38 樹木農業の創始者ラッセル・スミス

樹木農業の創始者ラッセル・スミス 一九三一年の秋の事であった。私は、ジョン・ラッセル・スミス教授に、米国フィラデルフィヤの近郊ペンデルヒルで会った。彼はまだ年若く。四十近い、中背の人であったが、非常に気持のよい印象をうけた。私はその時まで、…

黎明34 物質を凝視する瞬間

物質を凝視する瞬間 私にとって、宗教は遠距離にあるものではない。机の隅を凝視してゐる瞬間にも、透明な硝子の表面を見つめてゐる瞬間にも、私は宗教を持つ。物質が宗教になるのではない。物質の存在そのものが私にとっては驚欺すべきものなのである。 机…

黎明33 母の力

母の力 母スザンナ 今から百五十年ほど前に、イギリスの国に、大変えらい宗教家がありました。その人の名をジョン・ウェスレーといひました。ウェスレーのお母さんは、大勢子供を生み、ウェスレーはその十五番目の子供でした。お母さんの名はスザンナ・ウェ…

黎明32 夫婦の苦闘の跡

夫婦の苦闘の跡 自分の妻に感謝したことを人の前に話すことは何だか手前味噌であまり面白く思ひませんが、感謝してゐることは嘘ではないのですから、正直にいひませう。 元来、私は肺病であったので、正式には結婚できる筈もなく、その上、無理をして貧民窟…

黎明31 黙想断片

黙想断片 この程度以上に世界を不思議に造ることは困難である。天国に行っても、この世界以上の奇蹟を見ることは不可能だ。眼を開いて見よ。真理は足下にある。 平凡が私には奇蹟だ。一つの林檎、一つの雑草、それが私には不思議だ。法則に縛られてゐるもの…

黎明30 徳富蘆花氏の思ひ出

徳富蘆花氏の思ひ出 一 私は粕谷の櫟林が好きであった。上高井戸の停留場から、村の広い道を行くとさうも感じないが、松沢村から八幡山を通り抜けて粕谷の鎮守に差しかかると、武蔵野でなければ感ぜられない美しい印象を受けるのが常であった。セピア色の肌…

黎明29 魂の芸術

魂の芸術 国家の存亡と国民精神 一八七一年、独逸がフランスと戦争して勝った時、独逸は奢って国全体に贅沢な気風が漲ったことがあった。その時、ワンダーフォーゲルといふ、渡鳥とでも読すべき、質実剛健なる風を尊び、自然に帰ることを主張した青年男女の…

黎明28 英文『日本宗教史』を読む

英文『日本宗教史』を読む 書かれなくてはならないもので、書かれなかったのは、日本人みづからの書いた日本宗教史であった。こんど姉崎正治博士がロンドンで出版せられた『英文日本宗教史』は、今まで西洋人が書いたものに比べて、更に意味深いものであると…

黎明27 西大阪は歎く

西大阪は歎く 東半球の氷河中間時代 災厄が始まるとそれが続くものである。米国カリフォルニアにあるヨセミテ国立公園の博物館で、年輪の週期律的研究を見た時、私は冷気が三十年くらゐ続いて、またその後で三十年くらゐのよき天候の季節のあることを教へて…

黎明36 天の兵車

天の兵車 敵の重囲に陥ったエリシヤとその弟子は、武装もせずに立ち竦んだ。エリシヤは祈を知ってゐたが、弟子はこれを解しなかった。慌てたのは弟子であった。どうすればよいかとエリシヤに訴へた。エリシヤは祈った後静かに弟子の目を開かせた。 見よ、天…

黎明35 眼と精神美

眼と精神美 心理作用と眼 眼は人間叡智の源泉である。それで心理的努力を払はなければ、眼が死んでしまふ。 眼には六つの筋肉がある。よく書物を読んだ人の眼の筋肉は非常に発達して、たとへ細眼である人でも不思議に大きく開くことが出来る。それのみならず…

黎明26 天文学から見た新天地創造論

天文学から見た新天地創造論 宇宙の突然変異 進化論と天地創造との比較論を少しばかり、主としてジーンズ博士の天文学の立場から考へてみたいと思ふ。今から約六十年ほど前のチャールス・ダーウィンなどの説によると、自然界は順序をたてて進化発展してきた…

黎明25 奮闘の人・繁栄の村

奮闘の人・繁栄の村 林檎で救はれた村 青森県は去年も今年も饑饉と洪水の災害に見舞はれたが、幸ひに、林檎で村の会計をつけてゐる地方は比較的困ってゐない。これは、佐藤勝三郎氏の林檎栽培に対する偉大な貢献の結果である。 今から約五十年も前のこと、佐…