黎明38 樹木農業の創始者ラッセル・スミス
一九三一年の秋の事であった。私は、ジョン・ラッセル・スミス教授に、米国フィラデルフィヤの近郊ペンデルヒルで会った。彼はまだ年若く。四十近い、中背の人であったが、非常に気持のよい印象をうけた。私はその時まで、彼が非戦論で有名なクエーカー派の一団に属する人とは知らなかった。私は偶然食糧問題の研究から、彼の書物を手に入れた。そして彼が、地球の’表面に於ける食糧の凡てに就いて、くはしく知ってゐることに畏敬の念を感じた。その後間もなく、日本に於ける食糧問題が沸騰してきたので、日本の識者階級に訴へようと思って、私は友人の力を借りて彼の書物を翻訳した。その書物の末尾では、食糧問題の最後の解決は、樹本樹物にあることが高調されてゐた。
しかし、その短い論文では、樹木農業の実際問題について、くはしくわれわれに報告してくれなかった。ところが、最近になって、彼は米国の領土を基礎にして、くはしい樹木作物の調査を発表した。私はその書物を読んで非常に感心した。彼の主張によれば、人間及び家畜の食物としての蛋白、脂肪、ビタミンは、いづれも完全に、栗、胡桃、椎、アルゼローバ、蝗豆、ヒッコリー等の樹木作物によって得られる事を主張してゐる。
彼は哲学