黎明39 科学的互助愛による自力更生

  科学的互助愛による自力更生

  空地の利用

 遅れてゐる農村の自大更生は、なかなか容易ではない。殊に、土地を持ってゐない地方の自力更生は、三つの方法をとるより仕方がない。第一は、村から少し離れてゐる処でもかまはない。自転車に乗ってそこを開発に行くこと。第二は、労力をもって立つこと。第三は、協同組織によって、立体的に伸び上ることである。
 現に、大阪府三島郡山田村の二十七戸の小作人は、数前年に耕作してゐた土地全部を地主に取上げられた。その時彼等は奮発して養鶏組合を作り、その飼料をつくる畑を数里離れた処に経営してゐる。これなどはその一例である。
 日本の農村には悪い癖があって、元気よく自転車に乗って遠くへ耕しに行かない処が多い。文明の利器を利用して。山でも川縁でも、空いてゐる土地はどんどん耕作する方法を考へたらいいと思ふ。殊に、空地利用を忘れてはならない。蜜柑、柿、胡桃、梨、無花果。杏等はすぐ相当の収益が上るから、かうした樹木収穫を計画し、山では山羊や豚を飼ふやうな方法をとるのが心要だと思ふ。山羊を飼ふことは最も必要なことである。人間が笹を食ふ代りに、山羊に笹を食ってもらって、山羊の乳を絞って飲めば、人間が笹を食ふのと同様である。
 山羊は貧乏人の友達だと昔からいはれてゐる。大いに山羊を利用する必要がある。
 内地でも、まだ漁業なり、山林開拓なり、いくらでも生きてゆく方法はある。どしどし自然を征服するつもりで発展的な努力をする必要がある。海岸の狭い処などでも、少し気長にやれば。深い処にイクボ蛎を養殖し、その水面では海老を、伊豆地方でやってゐるやうな方法でう分養殖が出来る。湾の深い処は適当の工夫によって、鯛の養殖さへ困難でないと考へられる。さういふ風に、常に土地を立体的に利用する工夫を考へなければならぬ。

  科学的相互愛に生きよ

 不良少年が団体を作るやうなつもりで、善良青年或ひは気の合ふ同志数人が。互助組繊をすることを契ひ、経済を共にし、労力を分ち、協同経営をすれば、必ず食ふ道は開けるものである。これは生産方面で特に著しい効果を納めることが出来る。また消費組合に於いても同様であり、信用、販売。共済の各組織に就いても同様のことがいへる。農村に医者がないといって困ってゐるけれども、医療利用組合を作れば、医者などは容易に農村に来て貰ふことが出来る。
 科学的努力と互助愛の精神が、農村にどれくらゐ実現せられるかによって、自力更生の方針は決る。

   支那の移民に学べ

 しかし、土地が得られなければ、労力を惜しまずに働くより道はない。失業時代であるから、人が使ってくれなければ仕方がないが、支那人が移民するやうな方法でやれば、食って行くには困らない筈である。支那人は移民するときには、まづ雄雌の鶏数羽と、豚の雄雌を持って、山へでも何処へでも行って、そこに小屋を造り、玉蜀黍を播き、粟を播き、豚を飼ふ。そしてその間の食糧は毎日鶏が生んでくれる卵を食ひ、玉蜀黍が大きくなる三四ヶ月の間、友人から貸して貰った食糧で饑ゑを凌ぐ。暫くして豚が大きくなり、雛が大きくなると、もう占めたものである。彼等は骨身を惜しまずに原野を開墾して、食ふだけの物を造ってゆく。満洲を開拓してゐる山東の苦力は、多くこの調子で移住した連中である。日本には、三百五十万町歩の原野が、まだ内地だけにでも捨てられてゐるのだから、食ふだけのことが気にかがれば、山東移民の調子で、かうした原野に引越しすればよいと私は思ってゐる。それに対して労力を惜しんではならぬと私は思ふ。
 これは世界の移民が皆経験する初歩のやり方であって、労力を惜しまなければ、決して飢ゑるものではない。
 しかし、金儲けをするためにさうしてはならない。金儲けが出来るやうになるには二少くとも三四年はかかる。
 以上は主として個人的に自力現生する場合であるが、社会的に自力更止しようと思へば、協同組合の道をとるよりほかはない。