黎明40 隠れた善事

  隠れた善事

 神戸の新川細民街に私が生活してゐた時、一人の青年労働者と知己になりました。青年は琺瑯鍋の熟練工でありました。父がゐない彼は、まだ丁年に充たないが、既に一家の柱石となって、病身の母と虚弱な弟妹の扶養の責任を負うて居りました。
 細民街だけに、周囲には、犯罪者、無頼漢、酒飲み、不良青年が多いなかに、その青年は全く異彩を放ってゐました。悪習に浸らないのみでなく、進んで他の青年たちに範を垂れてゐました。その中でも、更にその念を強くさせられたのは、彼が誰にも語らずに、その街の貧困な一理髪業者に十円を与へてゐた事でありました。十円といへば、多額な金ではない。しかし彼の半月の給料に近い額である。それを惜し気心なく彼は散髪屋の一家救済のために毎月与へてゐたのです。私は余程後に、恵まれた人からそれをきいて、青年の陰徳を賞讃したのでありました。
 何か、彼にかうした美しい事をなさしめたか。それには一つの動機がありました。彼がまだ少年の時でした。或る冬の朝、彼は工場に通勤の道すがら、あまりの寒気に小さい両手を自分の息で暖めながら歩いてゐました。と、向うからやって来た一人の中年の婦人が、この少年労働者を可哀さうに思ったのでせう。風呂敷に包んでゐた焼きたての芋を彼の小さい掌に与へました。思ひがけなく暖い同情を得て、少年の心は燃えました。苦しい世の中にも、人の情はあるものだと心に深く感銘しました。
 この感激が、あの青年の胸から、社会の下層階級に向って美しい行為として表れるのでありました。
 後年、彼は神戸市の労働紹介所主任となりました。そして十数年後の今日なほ、労働者の福利増進のために、日夜心血を注いでゐます。
 先頃、現職を辞さうとしたとき、彼を慈父の如く慕ふ労働者は、心からその留任を望み、四千の労働者は迪連名調印して嘆願書を提出しました。これに依っても、彼の人格徳望を窺ひ知ることが出来ます。