黎明31 黙想断片

  黙想断片

 この程度以上に世界を不思議に造ることは困難である。天国に行っても、この世界以上の奇蹟を見ることは不可能だ。眼を開いて見よ。真理は足下にある。

 平凡が私には奇蹟だ。一つの林檎、一つの雑草、それが私には不思議だ。法則に縛られてゐるもの、発生するもの、無生物、生物、その凡てが私には奇蹟だ。

 よくもまあ、こんな不思議な世界に、私は生れ合せたものだ。一片の土塊、一箇のバクテリア、それすら、私には全く予想外の出来栄えである。これ以上の不思議な世界が、偶然に出来るとは思はれぬ。

 背後にあるものの姿が見えなくと大宇宙の神秘は、その現象によって十分知ることが出来る。運命づけられたものさへ、運命づけられざるものの役に立ってゐる。それが私には不思議でならない。

 運命づけられたものが、運命づけられぬもののために役立ってゐることを見ると、世界は全体としての使命を持ってゐるのだ。箇々の使命が判明しなくとも、全体のために、神のために、生くべきだ。

 私が一つの神であったにしても、私は地球のやうな不思議な世界をよう造らない。地球は造っても植物はよう造らぬ。植物は造っても動物はよう造らぬ。動物は造っても魂はよう造らぬ。霊魂はやはり神が造ったに違ひない。

 よくもまあ『記憶』といふやうなものを人間の脳髄に造ったものだ。十年前、五十年前、百年前のことすら憶えさせ、思ひ出させる仕掛の巧妙さには、如何なる科学者も兜を脱ぐべきだ。

 あまりに機械的な決定的生活であっても、これを何もない世界から造り出すとすれば、普通の骨折では出来ない。最大の自由を持つものが、或る種の決定を与へたものとしか私には考へられない。その背後に造物者が秘密を守ってゐるのだ。

 人生の苦痛は、視点によって変る。或る高い目的のために苦しんでゐると思へば、病気すらが愉快になる。神は人間の苦痛を『意識』といふ不思議な力で救はうと、初めから設計してゐる。その企ての妙に私は驚く。

 存在そのもの、生きてゐるそのこと、意識を持つことそのことが、三重の神秘として私に迫る。私自身が、存在と生命と意識より一歩離れて観照的態度を取る瞬間に、世界には神秘の舞台が開く。

 神秘は、心の扉の開きやうによって定まる。自己のために思ひ悩むものに神秘はない。他人のために思ひ悩むものには半分の神秘が与へられ、神の如く宇宙の為に思ひ悩むものには全幅の神秘が与へられる。

 自己生活に閉ぢ籠る者は自己決定の世界に生き、自己決定の世界に生きるものは、宇宙の発展と調子を合はさない。これを罪悪とも云ひ、迷ひともいふ。自己の城壁を打ち破って、宇宙精神をしてのびのびと自己の衷に生え上らしむるところに、歓喜は湧く。