黎明47 愛の常識化

  愛の常識化

 秋の空は晴れてゐた。東京深川区清澄公園の空さへ晴れてゐた。その日丁度教化事業に関する相談会が清澄公園で催されてゐた。その序に、私は一言だけ、浜園町のテントにゐる人々が気の毒だから、この冬床を張ってあげなければならぬことを述べた。話が終って帰らうとすると、一人の紳士が私に近づいて来て、
「賀川さん、あなたはその失業者のテントに床板を張らうと云ってゐられますが、それは容易なことです。深川の本場にYといふ熱心なキリスト教信者がゐて、何かの形で社会奉仕をさせてもらひたいといってゐますから、是非その人に会って下さいませんか」と言った。
 善は急げと思ったものだから、私は早速自動車を飛ばして、深川の木場のY商店を訪問した。大きな店の主人公のY氏は、猿股に腹掛をかけたといふ扮装で心持よく私を迎へてくれた。そして、早速万事を引受けて、今からすぐ見に行っでやらうと、待たしておいたタクシーに同乗してくれて、浜園町の市立無料宿泊所まで飛んで来てくれた。そこには約十戸のテントが立ってゐた。そして約百八十数人の気の毒な失業者が入ってゐた。床の出来てゐるのは、その中のただ一つであって。他は凡てアメリカから送られた震災当時のカンバス・ヘッドに寝てゐた。そこの世話を焼いてゐてくれる高橋元一郎君が、失業者と床板を造ることに賛成してくれた主人公とをとりまちがへるほど、材木屋の主人は質素な風をしてゐたが、一通り廻って、すぐ明日材木を送ると引受けてくれた。
 私は、そのまま自動車で、或る新聞社の用事のために丸の内に帰ったが、東京にはわかりのいい人もあることを実際に経験して、ほんとに嬉しく思った。金目にすればほんのわづかな事であるけれど九百八十数人の多人数に上る生活の根本にふれてゐる問題であるのだ。それが、一言洩らしただけで、その日すぐに解決せられ、翌日は全部床板が張れてしまった上に、その材木屋さんから失業者に与へてくれと献金までつけてくれたのには驚いてしまった。社会事業をしてゐても、面白く仕事の運ぶことはさう多くはない。しかし、時代が進歩してきて、愛に関する行為が常識になれば、すべてが簡単にすませるものだと、私はつくづく感じたことであった。