黎明48 小説『富士』

  小説『富士』

 それは深い魂の画布に塗られた最高の芸術である。日本の最大の愛の使徒、故岡山孤児院長石井十次氏が、嘗て著者蘆花を評して、彼は魂を描くが故に七百年の寿命を保つと云ったことがあるが、誠にその通りである。彼は魂の髄の底を描いた。彼は魂のスクリーンに映るあらゆる暗影、あらゆる風雪、あらゆる波浪に就いて見逃さなかった。彼は神の如く自己を解剖し、神の如く魂を浄化せんとした。『富士』四巻はこの大きな努力の結晶体であり、『富士』は彼であり。彼は『富士』であった。彼は自ら神の如く自己に臨んだ。従って、魂の芸術としてこれ以上のものを要求することは出来ない。それは水晶の如く透徹し、金剛石の如く光ってゐる。『富士』を読んで初めて真実の日本人を知ることが出来る。これは永劫不滅の記念碑である。それは魂の富士山であり、層雲を越えて聳え立つ峻峰である。富士に登らずして日本を語り得ざる如く、小説『富士』を読まずして日本の魂を詔ることは出来ない。登れ、この魂の富士に。