黎明28 英文『日本宗教史』を読む

  英文『日本宗教史』を読む

 書かれなくてはならないもので、書かれなかったのは、日本人みづからの書いた日本宗教史であった。こんど姉崎正治博士がロンドンで出版せられた『英文日本宗教史』は、今まで西洋人が書いたものに比べて、更に意味深いものであると私は思ふ。貪るやうに私はこれを読み、日本文で読む日本宗教史より何だか新しい気持で。日本に於ける宗教思想の変遷を知ることが出来て非常に嬉しく思った。
 全篇二十二篇から成り立つ、米国ハーバード大学の講義が骨子になってゐるやうだが、まづ私は、英文の流暢なのに感心させられた。この書の中で特にすぐれてゐるのは、仏教史とキリスト教史の部分であると私は思ふ。勿論、序文になってゐる日本民族元祖一般論などでも、ごく正当な学者的立場で書かれてゐるので、一々うなづかせられる。天台及び真言に開すら平明な記述にしても、私は一一うなづくことが出来た。また封建時代の宗教的発達に関しても実に要領を得てゐる。
 姉崎博士にとって得意ではないと思はれる儒教の発達史に於いても、私は大いに教へられるところがあった。例へば、日本に於ける王陽明学派の鼻祖といはれてゐる中江藤樹先生とキリスト教との関係を明かにせられた如きは、やはり姉崎博士でなければ出来ない研究だと私は思った。井上哲次郎博士の『日本陽明学派の哲学』を見ても、近江聖人が、その根本信仰に於いてキリストの感化を受けたことが明かであるに拘らず、井上哲次郎博士は、強ひて藤樹先生とキリスト教とを区別せんとせられた如きは、如何にも苦しい書き方である。それを姉崎博士は西洋のキリスト教の文献から、藤樹が四国で或るキリシタンより霜焼の薬を貰ったことがあるだらうといふ註までして、面白い報告を書いてゐられるが、客観的に見て、姉崎
氏の方が正当のやうに私は思ふ。
 明治以後の宗教思想発達史に就いても、この書は頗る詳しく記述してゐる。特に私が愉快に読んだのは、高山樗牛の思想変遷に関する姉崎氏の記述である。文章もよく書けてゐるし、あの時代の思想の流れを熟知してゐられる氏としては、感慨深く書かれたことと私は思ふ。明治、大正以後の部分は随分苦心して書かれたやうであるが、記述を急がれた点もあるやう
だ。それでもあれだけに纏められたことは容易でなかったらうと私は思ふ。
 詳しく書けばきりがないだらうが、大掴みに書かれた日本宗教史としては、これ以上を期待することは困難であらう。しかも、各章の終りに、宗教思想が社会的に表現を持った各方面の感化を面白く並べられてあるだけに、読んでゐて非常に愉快な気がする。勿論、姉崎博士は、日本宗教史を出来るだけ明るく美しく見ようとせられたと思はれる節々もないではない。陽明学派が、仏教排撃に力を尽した理由などは少しも記述してゐられない。しかし、それらの点は別として、この書は、日本を思想的に紹介する上に於いて、実に重大な使命を持ってゐると私は思ふ。ただ難をいへば、もう少し写真版を多くして、眼に訴へる工夫があって欲しかった。例へば、仏教各宗の開祖の写真を入れるとか、その本山の写真を挿入してもらふことが出来たらと思った次第であった。
 それは兎に角として、日本に於ける権威者が、かうした努力を払はれたことを私は心より感謝するものである。