黎明44 人種戦争と宗教

  人種戦争と宗教

  人種の融和点

 私は現実の問題をみつめる。果してこの後、人種間の闘争が経済闘争より大きくなるか? 私はさうは思はない。アブラハム・リンコルンが北米の黒人を解放した時に、黒人種の人口は約八百力と推定せられた。これが今日では千三百万までの増加となり、そのうち数百万人が白人と黒人種の雑婚したものの子孫である。
 ニューヨークにおける日本人は、一九二五年の推定によると、五百組以上も白人と結婚してゐるとのことであった。そのうちで最も多いのはスエーデン人と日本人との結婚であった。一方私は南洋における日本人とマレイ人種の雑婚について研究してみた。フィリッピンにおける日本人は各都市において三割乃至四割の土人との混血児を小学校に送ってゐる。マニラにおいては、その程度が少いが、地方に行けば行くほどその程度は甚だしい。こんなことを考へてみると、黄色人種の先端に立ってゐる日本民族は、白色人種とも容易に雑婚し。褐色人節とも自由に混る傾向を持ってゐる。
 コンクリン教授の推定によると、米国における今日の速力で行けば、五千年もすると、世界氏族は相当に混血するだらうとのことである。勿論過去において人種闘争のあったことを私は否定するものではない。北米における東洋民族の排斥は今なほ続いてゐる。
 今度、比島人四万人が比島独立とともに故国に送還せられた。白系アルメニア人とトルコ人との間の猛烈な闘争は、世界の知るところである。最近におけるナチスユダヤ人迫害も世に知れたことである。
 しかしエチオピアとイタリーの問題を人種戦争のみから見ることは間違ってゐると思ふ。その根底に横はるものは資本主義的経済問題である。

  良心宗教による奴隷解放

 インドにおけるブラマ教は、人種的階級制度を宗教的戒律の中に繰り込んだ。それを仏教が破壊せんとした。しかしインドに仏教は亡びてブラマ教が今なほ勢力を振ってゐる。ガンヂーは新しい運動を起して、このカスト・システムを破壊せんとしてゐるけれども、ブラマ教の域内において、どれだけ成功するか問題である。
 近代資本主義は十一世紀かかってキリスト教が破壊した西欧の奴隷制度をもう一度復活した。即ち、良心宗教が本能経済に敗れる時、人種的迫害が直ちに復活する。米国において奴隷制度が確立したのは、ピューリタタニズムが繁栄の前に屈服した時であった。今日北米テネシー州の山の中に、初めから奴隷制度に反対して貧乏することに甘んじたピューリタンの団体が残ってゐる。良心宗教を守らうとするものは、繁栄を蔑視せねばならない。一八六五年、アブラハム・リンコルンは国民的にこの良心宗教を回復し、ゲテスブルグの徹夜の祈祷によって、奴隷解放の宣言に著名することの決意をきめた。 
 まことに人種戦争を完全に解脱し得るものは、宇宙意識の拡大、即ち良心宗教の確立のほかにはない。

  宗教意識の混乱と人種憎悪の復活

 宗教運動は意識運動である。勿論全意識に目覚めるまで、人間は意識内容を形成する諸要素を宗教化する傾向を持ってゐるから、一概に宗教といっても、宇宙意識を生活内容とする良心宗教でなければ、決して奴隷解放は出来ない。奴隷解放の出来ないものに人種闘争を絶滅し得る力はない。であるから、延命長寿を祈るアニミスティックな信仰や、武運長久のみを祈る力の宗教や、運勢の吉凶を占う利己的心理宗教、あるひは社会血族の保全のみを祈る低級社会宗教では、人種闘争を絶滅さす力を持ってゐない。これら生命、力、変化、生長等、宇宙に存在する不思議な実在の副性は一つ一つ宗教的の薫りを人間に与へる。
 しかし、われわれはその局部的な薫りのために、全的宇宙意識の存在を見失うてはならない。この全的宇宙意識の認識と把握が、人類歴史に導入せられる時、そこに人類相互の連帯意識が生れ、最微者に対する贖罪愛の感情さへ湧き上るのである。仏陀は消極的にその道をさぐり当てんとし、キリスト積極的に十字架を荷うてエルサレム郊外の露と消えた。

  霊魂力の勝利

 人間は生理的心理的に約束づけられてゐる。そのために宇宙意識に覚醒したものも夜になれば昏睡に陥ってしまふ。これは社会的に云っても同じであって、われわれの意識を混乱せんとするアルコールや梅毒、モルヒネやコカインそして機械文明が出生して以来、人類自らが生み出した強い刺激に酔うて、宇宙意識の純粋さに立ち帰る機会を失ってゐる。しかし人類もこの機械的生産に少し馴れて来れば、また少しの落着きを発見するであらう。その時、人間の本能的人種憎悪の観念は、人間が持つべく与へられた贖罪愛の霊力によって整理され得るであらう。
 今アフリカの赤道直下に宗教的救療事業に従事してゐる、ドイツの哲学者アルベルト・シュワイツァーは、彼自らの事業を白人が黒人に対して犯して来た罪悪の贖ひの運動であると云ってゐる。かうした霊魂の覚醒によってのみ、真実の意味における人種闘争は絶滅し得るのである。

  神なき経済革命の悲哀

 悲しくもクロポトキンのロシアに関する予言が適中した。ロシアの第一期五箇年計画は見事失敗した。米国の雑誌『カーレソト・ヒストリー』の報ずるところによると。ロシアの食糧政策は、全然失敗した。最近ロシアの人々は饑饉に苦しみ。五万の列車、百五十万
噸の食糧は掠奪せられ、配給は円満を欠き、全ロシアに食糧騒動が勃発してゐるといふことである。
 クロポトキンが、地方自治を根本にせずして、中央集権的な暴力革命をやれば必ず失敗すると、レーニンに忠告した言葉が思ひ当る。ロシアは人間の心理を無視し、宗教と道徳を迫害した結果、暴力による政治革命には成功したけれども、経済革命には悲しい失敗を見てゐる。ああ、それはあまりに悲しい実験であった。神と良心とを無視したフランス革命が失敗したと同じやうに、ロシアも経済革命に失敗したかと思ふと、ダエエルの予言が思ひ当る。「メネ・メネ・テケル・ウパルシン!」。ロシアの唯物暴力主義的の運命も数へられた。人間の賢さは、神の愚より劣るのだ。ああ、ロシアの運命も数へられた。

  レークスの故郷グロスターを訪ふ

 お伽噺に出て来るやうな小山や牧場を通り抜けて、幾哩も幾哩も続くホーソーンの生垣を打ち見守りながら、ロンドンから西に走って四時間くらゐすると、古い古いグロスターの町に着く。
 そこは、アーサー物語に出て来る多くの騎士たちがゐた処である。そこの一番大きな教会は英国の有名な聖堂の一つに数へられてゐる。その建築の様式も、ウェストンミンスター・アヴェなどに比べて、決して劣るものではない。その教会堂のまん中に十字軍に従って雷鳴をぬかせた英国の王様エドワード二世の寝棺がそのまま横へられてあった。何でも巡礼者は。その聖堂の西木戸から跣足で這入って、その棺のぐるりを一巡するのが一つの行事であったと、案内者は私に話してくれた。
 私かグロスターに行ったのは、そこで、独立労働党の大会が開かれたからであった。しかし私は、労働党の月並の議事より教会堂の建築の方にどれだけ心を惹かれたか知れない。私はグロスターを訪問するまで、英国の聖堂にあまり心をひかれてゐなかった。私は英国人は無器用な国民で、美しいものはあまり残してゐないと思ってゐた。
 実際、英国に行って誰でもが訪問するロンドン塔を見ても、美しいといふ感じを少しも与へてくれない。英国に行くと宮邸までが牢獄に見える。実際、宮邸を牢獄に使ったことが多かったので、一層そんな感じが与へられるのであらう。鎧を見ても、武器を見ても、中世紀の英国の日常生活に美しさを求めることは非常に困難である。
 それで私は教会堂にもあまりいいものは無いだらうと思って馬鹿にしてゐた。西洋建築史などで英国にはゴシック建築が不思議に多く残ってゐることだけは読んでゐた。しかしその多くは、日本でいへば藤原の末期から鎌倉時代にかけての物ばかりであるから、古い古いといっても、東洋に残ってゐる古建築物に比べては、凡て新しいものに属してゐる。それで私は、イギリスの聖堂建築を馬鹿にして、研究する気ではなかった。
 ところが、グロスターに着いて、その聖堂があまり美しいので、グロスターに四日ゐる間、私は毎日、聖堂の中に瞑想するために這入った。或る時などは、一哩も二哩もの遠方から。その美しい聖堂を眺めてみようと思って、郊外まで一人で歩いたことがあった。聖堂は遠くへ離れれば離れるほど美しく見えて、まるで玉のやうであった。
 勿論、聖堂の中に這入ると、何だか真言宗のお寺の中に這入ったやうな気がして。生命が抜けてゐるやうな気がしないでもなかった。
 そんな事を考へながら労働組合員の或る者にぶっかった時、
「この町からどんな人物が出たんだね? 何か面白い歴史的な出来事が、ありましたか?」
 と訊いてみると、彼が躊躇せずに私に答へたのは、日曜学校の創始者ロバート・レークスの事であった。
「この町には、お前さん、ロバート・レークスが最初の日曜学校を創ったんだぜ」
 さう注意せられて案内記を読んでみると、なるほど、レークスの事を町の誇りとして書いてあった。この時の私の心持からいへば、私が訊きたかったのは、レークスの事ではなくて、あの美しい聖堂に関連した伝説であった。私には巡礼といふことが非常に面白い研究の対照であった。群衆心理から考へても、宗教心理から考へても、また人文地理から考へても、キリスト教の巡礼といふことは、日本の巡礼と比べてどれくらゐ私の注意を惹いてゐたか知れない。
 それで私は土地の人から昔の巡礼に関する伝説でも訊きたいと思ってゐたのだった。ところが、その労働組合の会員は、巡礼に関する伝説も教へてくれなければ、英雄に就いても語ってくれず、町の誇としてロバート・レークスを私に教へてくれた。そして私は古い時代の宗教心理や群衆心理を考へる代りに、ロバート・レークスを誇りとしなければならないやうになった、英岡に於ける産業革命時代の宗教思想を考へてみた。
 実際、巡礼とグロスターの聖堂には、神秘と憧憬が遺ってゐる。
けれども、日曜学校とレークスはあまりにも近代的であり、神秘が少いやうに思はれた。だが、私はすぐ私の考へを変へた。どれほど美しい聖堂があっても、生命のぬけた、迷信深い形式宗教の墓のみであったならば、聖堂は叩き毀してしまった方がいいのだ。
 さうだ、レークスは、形式宗教に飽き飽きした多くの家庭の子供等が、産業革命に逢って街上に放り出されてゐるのを見て辛抱しきれなくなった結果、世界最初の日曜学校を始めたのだった。これだ、これだ。そこには神秘の空気が少くても、活宗教の活路があるのだ。今日英国の目曜学校の生徒は、一千百万人を越えてゐる。そして英国の国民教育の最も大事な任務を果してゐる。グロスターの聖堂よりか、この千百万の生ける聖堂こそ、このグロスターから始まった大きな建築運動であると、今更ながら私は新しい考へに打たれたのであった。
 グロスターの町は、オックスフォードによく似た狭苦しい、英国流の町であった。そしてそこには、多くの伝説が町の角毎に残ってゐるやうに私には思はれた。しかし、今なほあちらの跡地から、こちらの長屋から、貧しい子供等が多く集められで。宗教教育の顧みられなかった今から百五十年も前に、このグロスターの一角から、世界的の大事業が知らずして起ったと思へば、全く不思議でならない。グロスターは人口八万くらゐの小さい町ではあったが、その聖堂の蔭から世界の宗教教育上に一大革命が徐ろに起ったと思ふと、神の不思議の摂理を今更ながら思はざるを得ない。