黎明35 眼と精神美

  眼と精神美

  心理作用と眼

 眼は人間叡智の源泉である。それで心理的努力を払はなければ、眼が死んでしまふ。
 眼には六つの筋肉がある。よく書物を読んだ人の眼の筋肉は非常に発達して、たとへ細眼である人でも不思議に大きく開くことが出来る。それのみならず、瞼が引締ってゐて、書物を読まない者より美しい曲線美を持ってゐる。野蛮人の女の眼は物にびっくりしたやうな据り方をしてゐて、眼球を美しく廻転させることをしない。

  瞼と習性の結晶

 眼球の筋肉と瞼の動き方は、人間の感情を表す上に於いて、特別な働きを持ってゐる。怒る人々の眼が吊り上り、笑ふ人々の眼が尻下りになるのは誰でも知ってゐるが、さうした眼の筋肉は習性を持つために、せっかく娘が美人に生れっいてゐても、結婚後、邪淫の生活を送ったり、悲哀の生活を送ったりすると、眼球の筋肉が習性を持ち、眼の周囲に争はれない邪淫の相や悲哀の相が表れてくるものである。

  鬼のやうな瞼

 中で最もいやなものは、上瞼が三角の形をして、鬼の面とそっくりの輪郭を形成する。また下瞼には特殊な皺が寄って、邪淫の相を表してくる。
 かういふことから考へて、私は眼の美しさを保つために、ただマッサージをしたり、美容術だけを外側に施しても、何の役にも立たないと思ってゐる。精神修養を怠れば、それがすぐ心理作用として眼球に働きかけ、瞼の習性によって実に醜い輪郭を顔面の上に形成するものである。

  瞼の延長

 例へば、芸妓の如きは、髪をあまり気にするために眉を上に吊り上げる。そのために、芸妓を三年もしてゐれば、いつとはなしに眉と眼の間が遠く離れ、上部の眼が長く伸びて、実に醜い形を示すやうになる。その上、性慾生活や飲酒の悪い癖がっくために、瞼の色はだんだん悪くなり、素顔の時には、血液の循環が悪いために、瞼の周囲に黒点が現れてくる。そして一種の毒婦型が出来上ってしまふ。かうした毒婦型の瞼といふものは、爽かな精神生活をすれば、早いものは一週間くらゐ、遅いものでも数年間のうちに全部無くなってしまふものである。
 殊に、夜を更かして性慾生活に耽溺するものは、眼球そのものに艶がなくなり。ややパセドス病のやうに前方に飛び出してくる傾向がある。その上、白眼の部分に充血が起り、或る不安な色彩が眼球そのものの上に起って来る。殊に、かうした生活を繰返してゐると、白く澄み切った白玉の部分が、細かい血管のために純白性を失ひ、一種の濁った形と血管による凹凸を作って。眼に光がなくなってしまふ。

  眼と憂鬱

 悲しいことが続いても、同じことがいへる。悲しい時にはどうしても人間は眼を開き得ない。それで上瞼が下に垂れ、涙管がはれ上り、鼻筋と眼球の間に出来た窪みが、美しい曲線美を破って、厭な気持を人に与へる。その上、睫毛のつけ根が赤く充血して、部分的にふくれ上る。そのために眼は細くなり、顔全休の調和を失ってしまふ。
 それであるから、決活な精神状態を統けてゐなければ、顔全体が悲しみをおびる。そして陰険な顔になる。かうしたことを考へても、如何に精神修養が眼の美に影響するかが解る。
 犯罪学者のロンブロゾーは、殺人犯人の眼は、ライオンの眼のやうに光るといってゐるが、たしかに、人間の持ってゐる神経作用が眼底に影響して特殊な光を持つに違ひないと私は思ってゐる。あまり恐怖したり陰険な精神状態を持続してゐると、すぐ眼球と瞼の上にその表情が表れてくる。瞼は萎縮し、妙な皺が縦横により、陰険そのものの表情や、恐怖そのものの曲線や屈線が瞼の上に沈澱してしまふ。
 これとは別問題であるが、近眼なども、少し心掛けがよければならなくとも済むのであるから、つとめて近眼にならぬやう努力したがよい。眼鏡といふものは決して自然の美を与へるものではない。一種の堅い感じを与へて、その人の本質を匿す傾向がある。