黎明26 天文学から見た新天地創造論

  天文学から見た新天地創造

  宇宙の突然変異

 進化論と天地創造との比較論を少しばかり、主としてジーンズ博士の天文学の立場から考へてみたいと思ふ。今から約六十年ほど前のチャールス・ダーウィンなどの説によると、自然界は順序をたてて進化発展してきたといふ。カントやラプラスなどいふ人もさういふ考へを根本にしてゐた。つまり、宇宙は星雲からだんだん固まって、しまひには太陽から地球が出来、地球から月が飛び出して出来たのだと考へてゐた。ところが、最近、突然変異があるといふ説を新しい地質学者、天文学者がいひ出した。
 私はフィリッピンヘ行ってゐる間に、地質学の立場から、岩層の順序が進化論的になってゐないことに気がついた。普通なら、地球上では古いものほど下にあり、新しいものが上になってゐる筈だのに、ヨーロッパではさうなってゐない。さういふ処が地球上に沢山ある。そこで、どうも地球の表面が順序よく行ってゐない。われわれの想像もつかぬ激変的事件が起ったに違ひないといふことを研究発表した書物『我等をめぐる宇宙』をよんで、私は感心した。
 それは実際驚くべきことである。普通の進化論からいへば順序よく重なってゐる筈なのに、実際はさうなってゐない。かういふことを最近地質学者がいひ出したのである。なぜ地球に皺がよってゐるか? おそらく、月や地球が出来た瞬間に何か激変があったのであらう。その激変が確かに地球上に残ってゐるだらうと思ふ。
 ジーンス博士は、天地は神が創ったと主張する天文学者であるが、かうはっきり説明し得たのはジーンズ博士が初めてである。なぜかう云ふかといふと、まづ第一に地球の話から始めなければならない。地球は遊星であり、遊星は太陽系に属してゐる。そしてこの太陽系は、最も珍しい星だといふ。太陽系は宇宙の真中にあるのではない。それは銀河系統に属するものである。何百万といふ銀河系があるだらう。その一部分の隅っこに属してゐる太陽系は、星の中でいふと、実に不思議な星で、あれだけの熱を持ってゐるものはほかにない。大抵のものは弱りつつある。しかし多くの星は太陽と同時刻に出来たので、決して進化的な径路は見えない。人間の目にうつるだけでも三千の星があり、望遠鏡で見ると何億とある。その星の中で、特別古いとか新しいとかいふ星はない。大体に於いて、恒星は太陽と同じ頃に出来たらうと考へられてゐる。宇宙の外側から或る働きで宇宙に特別な力を注ぎ込んだと考へなければならない。そして1.3×13/10の熱で空間に注ぎ込んだほどの力で、物質のやうなものを造ったと考へなければならぬ。ジーンズ博士はさう思ひきって書いてゐる。

  ただ一度の機会

 宇宙の星には必ず初めがあった。そして終りもある。無限から無限に読くなどといふことは考へられないとも書いてある。物質の中から光が出て、物質がだんだん変ってゆくと考へるなら、ラヂウムの如きは消えてしまふ。凡ての物質はラヂウムのやうなものだから、太陽も消えてしまふ。丁度ラムプの油が絶えて、光が消えてしまふやうに、太陽の光も消えてしまふ。だか、最初ラムプの中に油が一度に注ぎ込まれたやうに、宇宙にもさうやって何か特別なものが一度に注ぎ込まれた時があったに違ひない。だから、終ひにはその油が切れて消えてしまふのだと、はっきり天文学的に説明してゐる。
 ジーンズ博士は、引力の研究を二十数年間してゐるくらゐの人だから、その云ふ事が面白い。宇宙に太陽のやうな存在か稀なやうに、地球のやうな面白いものも珍しい。遊星といふものが大体少い。遊星のある星は太陽系以外に見つからない。あったところで、地球のやうなものとは違ふ。星には光ってゐるものが多くて、光ってゐないものは少い。そして地球のやうな光ってゐないものは、何百億年も続くだらう。といふのは、地球はラヂウムのやうな元素を持ってゐることは少くて、大抵の元素は固まってゐるからである。
 太陽は一分間に三千六百億噸に近い熱を出してゐるのだから、一分後には三千六百億噸の熱が減ってゐる訳である。地球は一分間に九十ポンドくらゐしか減ってゐないから、地球はなかなか収縮しない。収縮しても、目につかないくらゐである。だから。千万年経っても、人間の住所に適しないといふことはないと計算してゐる。なほ面白いのは、この太陽系の構造が水素原子の構造と全く等しいことである。
 遊星は、太陽に近いものからいふと、水星、金星、小遊星、地球、火星、木星天王星海王星冥王星の順で、太陽と水星との距離は一、水星と金星との距離は二、金星と小遊星との距離は四、小遊星と地球との距離は八といふやうに、二倍づつにし、その各々を三倍し、更に四を加へると、遊星問の大体の距離が出てくる。さういふやうに計算して最近発見されたのが冥王星である。原子もやはりさうであって、原子の構造は太陽系の組織と全く同じである。
 そこで、太陽から地球が出てくるのは、自分の力ではねとばしたのでなく、一つの星がすぐ側を通過して、その引力にひかれ、引かれた部分がとび出してしまったのである。だが、二万三千年の週期で太陽が銀河を廻ってゐる。その銀河の中を或る星が何百万年か前に通過した瞬間があった。その形跡があるのは大熊星やアンドロメダ星座等で。明かに銀河の中を一度通過したと思はれる点がある(が、その時に地球から月を離したとは、云ってゐない)。かういふ機会は実に珍しい。宇宙の星は宇宙全体からいふなら、全欧洲に六匹の蜂を放ったやうなもので、互に衝突するやうなことはない。

  天地の創造

 さういふ風に考へてみると、神が或る目的をもって太陽から地球を引き出したやうに考へられる。世界が始まってから、かういふ事があったのは只一度である。何千人かの人間が、一生懸命星を覗いた結果、どうしてこんな地球が出来たかはわからないにしても、とにかく地球のやうな不思議な珍しいものは他にはなく、また地球上に住む生物のやうなものもなく、地球は結局生物をつくるために太陽系の中に造られたものだと考へるやうになった。更に、この地球も永遠に亡びないのではない。何百億年かの後には、地球もばらばらになってしまふ。丁度土星の輪のやうに。土星の輪は三重になってゐるが、なぜあの輪が出来たか? あれは瓦斯体であらうか? いや、さうではなくて、初めあれは土星の衛星だった。それが地球の半径の二倍半くらゐの近くになった時に、ばらばらに砕けて、ああいふものになったといふことである。月にひかれて地球上の水が干満を示してゐるが、しまひには、月が砕けて地球の輪になり、地球それ自身も太陽にひかれて、さういふものになると、ジーンス博士は計算してゐる。慧星は星のばらばらになったものが空間を飛んでゐるのだといふ。
 かやうに考へると。ジーンス博士の宇宙創造論は、必ずしも根拠のない説ではないと思ふ。今から六十年も前の学者は天地は神がつくったといふと嗤ったものであるが、今ではそれに反対する理由はなくなった。新しい天文学では、宇宙は神が創ったものである。「神元始に天地を創り給へり」といふ創世記第一章の言葉はその儘事実であることを説明せんとしてゐる。地質学者チェンバレンが、字宙は決して漸進的に進化しない、突然出来たと云ってゐるが、星も決して順序よく進化したものでなく、或る一定の時に、花火が爆発するやうに一度に出来たものだといふ。さうすると、神は確かにあるのである。
 この不思議な宇宙の存在を考へると、ますます不思議である。これを造ったのは神であり、神が太陽系をつくり、地球をつくり、生物の存在を可能ならしめたのであると、私は信じてゐる。