黎明50 魂の芸術家ジョン・バンヤン

  魂の芸術家ジョン・バンヤン

 バンヤンの偉大さは民衆と歩いたところにあります。いや、民衆の為に。良心と共に歩いたところにあります。
 ハンヤンの譬喩は、ほとんど天才的です。板に着いてゐます。キリスト以来、バンヤンほど明瞭に、福音を民衆に解り易く教へた人はないでせう。
 勿論その時代は暗い時代でした。今日のやうに、汽車も汽船も走つてゐませんでした。それで、彼の書いたものは大体に於いて非常に暗い感じがします。けれども、あんなに上手に劇的場面を連ねて、宗教生活の意味を説明してくれた民衆芸術家は、古今絶無といってもいいと思います。
 労働してゐる者には、書物ばかり読んでゐるものと違って、新しい世界と真理が体験として啓示せられて来るものです。バンヤンの創作は、さうした休験から生れました。
 私は、宗教心理学から考へてみて、バンヤンの『天路歴程』ほど宗教心理を劇的に教へてくれたものは無く、あれほど力強くクリスチャンの何ものであるかを教へてくれたものは無いと思ってゐます。
 最初私が『天路歴程』を読んだ時には、それほど感じませんでした。二度目に上巻と下巻を英文で読み通した時、私はその魅力に全く驚いてしまひました。私は読んで行くうちに、針で自分の胸を刺されるやうに思ひました。幼い時に、こんな詰らない書物と思ってゐたものが、人生の旅路を重ねると共に、『天路歴程』の真理を日一日と深く教へられるやうになりました。殊に自分が下手な小説を書き出してから、彼の偉大さを一層深く悟るやうになった訳です。その後私は、彼の自叙伝である『恩寵溢るる記』を繙いて、『天路歴程』の内部的記録を教へて貰ひました。『天路歴程』が表なら、『恩寵溢るるの記』は裏です。『天路歴程』は精神分析を要しますが、『恩寵溢るるの記』はそのままで受け取ることが出来ます。私は、後者を読んで初めて、バンヤンの精神生活の深さを知りました。勿論。『天路歴程』は十七世紀の暗い時代を反映してゐます。それで、今日われわれが考へてゐるやうな、大きな社会愛などに就いて教へてくれてはゐません。彼は、一つの霊魂の歩みだけを指示してゐます。その点が、何だか私には頼りないやうに思へてなりません。あまりに暗いといふのは、そこなのです。恩寵に溢れてゐなからも、まだ暗い影がさしてゐます。それは止むを得ないことであったでせう。クロムエルが王の首を刎ねたり、反教会主義の人が焼き殺された時ですから、「聖戦」の方に力が入れられて。「聖愛」の方に力が入れられないのはあまりに当然でありませう。
 しかし、そこにまた、ジョン・バンヤンの力強さがあります。良心の自由のために、飽くまで戦って行かうとする。その偉大なる魂の歩み、それを表白する彼の不思議にして平易な言葉、私は何度も繰返して、ジョン・バンヤンの『天路歴程』を瞑想し直します。彼の記録はさびしくはあるけれども実際一個の魂の記録としては、あれ以上に出られないものなのです。われわれは永久の旅行者です。われわれは、バンヤンの教へてくれたもの以上ではありません。私は、『天路歴程』を読む時に、自分の魂を読むやうな気がしました。貧民窟に永く住んでゐて、『天路歴程』に語られてゐるやうな事実を、譬喩としてではなく、ほんとに見て来た私です。私はバンヤンの真理を考へ直したことでした。『天路歴程』は新しい福音書です。一種の「典外聖書」といってもいいでせう。あの書物一冊読めば、マタイ伝から黙示録に至る全部の真理を、一つ洩らさず、最も通俗的な言葉で、間違ひなく知ることが出来ます。
 キリストは譬喩を以て教へました。そしてバンヤンは譬喩の天才でした。民衆ほど譬喩に生きてゐるものはありません。この意味に於いて、バンヤンは永久に民衆の魂の中に生きてゐます。