ムハマド・ユヌス語録 ESDシンポジウムin Kobeから

 ESDシンポジウムin Kobeに3日間参加して、ムハマド・ユヌスさんはソーシャル・ビジネスの伝道師だと考えた。貧困救済の手法を自ら編み出し、国内はおろかいま世界に発信し伝えることを使命にしている。100年前、賀川豊彦がスラムに入り、小さな頭をめぐらして考えたのが協同組合という経済形態だった。考えてみれば協同組合もまたソーシャルビジネスの一つなのだ。両者みに共通しているのは「素人」であること。そして「他を利する」というものの考え方である。

 ESDシンポジウムin Kobeは学生達が半年かかって学び準備した。その成果は3日間のスケジュールに貫かれていた。羨ましいほど一つの目的に向かって30人あまりが行動し、議論を進めた。ユヌスさんもそんな学生との議論を楽しんでいた風情があった。議論を聞きながら思い出したのは、賀川が各地で開催した「農民福音学校」である。車座になって議論したかどうかまではしらないが、たぶん賀川先生を中心に農村の貧困問題をどうしたら解決できるかの問答が繰り返されたのだと想像している。

 ユヌスさんと学生のトークインはもちろん農村問題にとどまらなかった。マイクロクレジットソーシャルワークとソーシャルビジネスの違い、ESDのあるべき将来、賀川豊彦。多くの視点から学ぶ場となり仲間をつくる場だった。

 ユヌスさんはパリから8日午前、関西空港入りし、シンポジウムに参加して10日、北京に飛び立った。そして翌週にはまた成田に到着する予定と聞いている。3日間の神戸滞在でユヌス氏はいくつかの語録を残した。以下思い出すままに書き連ねたい。

 ムハマド・ユヌス語録】

  • 人々は何でも難しく考えたがる。その方が頭がよくみえるからだ。自然はシンプルなのだ。エキスパートの目ではなく、素人のコモンセンスが大切だ。そこからグラミン銀行も始めた。金融の知識も何もないところから始めた。知らないのはディスアドバンテージではない。知ることは重要であるし知識も大事だが・・・(9日のトークインから)
  • 貧困がなくなったら貧困博物館をつくろうというのが夢だが、地球上に貧困がなくなったらどうするかって? 職を失うことになるかな! 嬉しかったのはコペンハーゲンからメールが来て「貧困を撲滅して3年以内に貧困博物館をつくりたい。そのときにユヌスのテストを受けたい」と言ってきたことである。(9日のトークインから)
  • 私にとっては仕事も休みも同じこと。たとえば画家は絵を描くことが仕事だが、休みに何をするかと問えば、たぶん「絵を描く」と答えるだろう。(9日のトークインから)
  • 世の中で不可能なものはない。行えば可能になる。若者は準備も才能もある。やらなくてはならない。われわれの世代より速くやらなくてなならない。Get to Work, There is alot of fun !(8日のパーティーで)