世界国家と平和運動(2) 賀川純基

 1945 戦争は終わった。8月19日(日)、賀川は松沢教会の講壇からざんげの心をこめて戦争の罪悪を反省し、新しい方向は「世界国家」の建設であると説いた。8月30日、読売報知に「マッカーサー総司令官に寄る」一文を書き、日本民族の特異性をのべ、今後は世界文化への貢献、世界平和への奉仕に役立ちたい、その具体策として国際協同組合と世界国家を提唱したいと記した。
 9月27日には国際平和教会をつくり、次の綱領をかかげた。

  1. 我らは新憲法の精神にもとずき世界平和に貢献せんとす
  2. 我らは侵略戦争の絶滅と世界における徹底的軍備縮小の実現を期す
  3. 我らは世界における搾取と独占とを否定する協同組合的精神による国際的恒久平和の徹底を期す
  4. 我らは宗教、社会、政治、経済、教育、文化その他万般の人間生活を通じて人類相愛互助の実現を期す

1947 シカゴ大学名誉教授ロバート・ハッチンスは加瀬の「世界拳法草案」を翻訳した。
1949 世界連邦会議並びに道徳再建設運動(MRA)に招聘をうけて、渡航願書をGHQに提出したが許可されなかった。12月には、かねとから国会に働きかけていたことが実を結び、世界連邦日本国会委員会を結成した。
1951 世界連邦アジア会議は11月3日から4日間にわたり、広島市において開催され、インド、インドネシア、マライ、カンボジア、ヴェトナム、フィリピン、中国、台湾、韓国、沖縄、ドイツ、イギリス、アメリカの各国から、ビイド・オア(世界連邦世界運動会長)、R・B・パール(元極東軍事裁判所判事)、T・アブドル・ラーマン(マライ連邦首相)、S・ソンサイ(前カンボジア国会議長)、I・P・ノール(インドネシア国会議員)等をふくむ代表約350名が出席した。そして次の宣言を決議した。
「いまや全人類は、あげて原爆戦争の惨禍におびえ、その非人道性を悲しむとともに、国際的抗争によりて激化せられつつある大惨事世界戦争の危険を如何にして阻止せんかに悩んでいる。世界連邦アジア会議は、この会議が原爆の地広島で開催された歴史的意義にかんがみ、戦争の絶滅を記する厳粛なる決意を新たにするとともに、世界連邦の起訴たる人類同胞愛の精神を強化するため、次の諸項を満場一致をもって採決決議し、これを全世界に宣言する。

  1. 原子兵器の製造ならびに使用を禁止する。
  2. 軍備の全廃を目標として各国の現有軍備を徹底的に縮小する。
  3. 人類的差別を撤廃し基本的人権を確立する。
  4. 宗教的偏見を排除し、世界各宗教の提携を促進する。
  5. 速やかに各国における戦犯ならびに俘虜を釈放する。
  6. 人口問題の解決のため世界資源の開放を記する。

 右の精神原理と協議事項を貫徹する方法として、われらはマハトマ・ガンジーの「真理の把持」の原理にたちて世界連邦運動を協力に推進する。」
 1954 3月、世界連邦世界運動会長ラルセンおよび名誉会長ボイド・オア卿の署名で、賀川に世界連邦世界運動副会長就任の依頼があり、それを承諾した。
 国連未加盟国会議を5月2−4日にひらき、平和機構の世界性を主題として、

  1. 何故、多くの国家は国際連合に加盟できないか
  2. 何故に、ある国家は国際連合に加盟しようとしないか
  3. 全世界を包含する平和機構は何であるか

について討論した。賀川は議長として会議の進行にあたった。
 第二回の世界連邦アジア会議は11月1−5日に東京で開催、インド、インドネシア、タイ、フィリピン、中国、台湾の諸国およびイギリス、フランス、スイス、イスラエルニュージーランドから代表が参加した。
 東京会議終了後、長崎、広島、亀岡などでも諸種の会合がもたれ、またこれと併行して第二回アジア協同組合懇談会を東京で開催、賀川はいずれの会議にも議長として活動した。
 1956 11月26日、戦争放棄促進大会を東京で開き、賀川は「日本国憲法戦争放棄を宣言したことは、世界史的な大事件であり、われわれはこれを守りぬいてゆくことは勿論、世界各国にむかって、日本にならって戦争を放棄するように説得すべきである。日本は国内的に政治、経済、社会的な大改革を通じて国民生活を安定させ、外には厳正中立を守って紛争の若い、仲裁役にならねばならぬ」と説いた。
 12月、日本と韓国との国交が第二次世界大戦以来絶えているのを憂えて、「李承晩大統領に訴う」公開状を毎日新聞上に発表し、つづいてその返書をうけた。賀川はすぐ韓国の代表部に金公使を三度訪ね話し合い、鳩山首相緒方竹虎にも会見して、日韓の国交回復につとめるところがあった。
1957 アジア・アフリカの提携と協力、原子核兵器の禁止と軍備の撤廃、国連の強化とその世界連邦化の三議題をかかげて、第三回世界連邦アジア会議が10月18−21日まで京都で開催された。インド、ブルネイシンガポール、さらにイギリス、アメリカ、ドイツの各大豊、日本側協議員631名が出席し、A・A各国の指導者民間各層および、ヨーロッパ、アメリカの世界連邦運動の同志から200通にのぼるメッセージがよせられた。下の如き「京都宣言」を発表して会議は無事終了した。

 京都宣言

 とどまるとこえおなき科学の進歩はついに人工衛星を生んだ。しかるに精神面は依然として前世紀的であるそこに人類の悲劇がある。
核兵器の禁止は全人類の願いであり、平和をもとめる声は全世界にわきあふれている。しかも強大国は己れの安全を軍備に依存せんとし、今なお万人の生存をおびやかす核兵器を製し、実験をつづけている。何たる非人道的振る舞いであろうか。
 われわれは世界社会の基調たる人類の<良心と愛とにより、たがいに緊密なる協力提携をはかるとともに、核兵器の全面的禁止と軍備の撤廃、戦争の絶滅を期し、恒久平和をもたらす世界連邦の速やかなる実現に向かって努力し、邁進する。
 1958 世界平和のためのキリスト者国際会議を8月14日、東京青山学院で開き、世界の現実が平和か破壊かのわかれ目にあるとき、世界のキリスト者が国境をこえていち銅に会し、主キリストによりつつ神に祈り、われわれの罪をざんげしつつ、「キリストは私達の平和」であることを確認しあい、世界の平和のために祈りをともにしたいという趣旨のもとに会同した。海外参加社はアルゼンチン、オーストラリア、カナダ、コンゴ、イギリス、フランス、ドイツ、ガーナ、ギリシャ、インド、イラン、ケニアニュージーランド、ナイジェリア、ペルー、フィリピン、タイ、アメリカの18カ国95名であった。
賀川はここでも議長をつとめ、「このようなキリスト者国際平和会議を毎年開きたい」と挨拶した。(完)