2009-03-23から1日間の記事一覧

賀川豊彦の社会事業における開拓的役割 賀川純基

1909 日本で最も大きく、しかも悲惨な貧民窟である、神戸市葺合区の新川に入った賀川は、神戸神学校の学生であった。彼はロンドンにおけるトインビーホールの事業を想起しながら、彼自身を技師としてその実験場に住んだのであった。彼のしごとはキリスト教の…