1947、48年とノーベル文学賞候補だった賀川豊彦 【毎日新聞】

 9月13日付け毎日新聞意社会面に、賀川豊彦が1947、48年とノーベル文学賞候補だったことを明らかになったと報じられた。献身100年記念事業以外に賀川への関心が向けられたのは初めてだ。嬉しいニュースであるので、全文転載させていただく。
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090913ddm041040058000c.html

賀川豊彦ノーベル文学賞候補だった 日本人初 1947、48年連続
 ◇スウェーデン・アカデミーのリストで判明

 キリスト教思想家で社会運動家賀川豊彦が戦後間もない1947、48年の2年連続で、日本人初のノーベル文学賞の候補になっていたことが分かった。スウェーデン・アカデミーがインターネット上で公開中の50年までの英語版の候補者リストから判明した。賀川は54〜56年の3回、平和賞の候補だったことも公式資料で確認された。日本人の文学賞受賞者は川端康成(68年)、大江健三郎さん(94年)の2人がいるが、他の候補者が公式に明らかになったのは初めて。【佐藤由紀、大井浩一】

 賀川が平和賞候補に名前が挙がったことは伝えられていたが、文学賞については全く知られていなかった。賀川が候補だった47年の文学賞受賞者はフランス人作家、アンドレ・ジッド、48年は米国出身の詩人、T・S・エリオット。

 多彩な社会活動で知られる賀川だが、文学賞選考での肩書は「作家」。インドのガンジーと並ぶ「東洋の聖者」として、欧米で最も知名度の高い日本人だった。少なくとも数冊の著書がスウェーデン語に翻訳され、北欧で賀川ブームが巻き起こったこともあるという。

 賀川豊彦記念松沢資料館の加山久夫館長(72)は「内外で30冊近い評伝が出たが、文学賞候補について一切触れておらず、まったくの初耳。賀川は職業的な作家ではないが、人間に対する見方、底辺にいる人々への感性、社会観など、独自なものをもち、それが評価されたのではないだろうか」と話した。

 ノーベル賞の選考は文学賞スウェーデン・アカデミー、平和賞はノルウェーのノーベル委員会が行っている。いずれも1901年の創設以来、候補者名や選考過程は秘密で、50年後に解禁する。平和賞は56年まで公開している。

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 ■人物略歴
 賀川豊彦(かがわ・とよひこ、1888〜1960)

 神戸市生まれ。神戸神学校、米プリンストン大などで学んだ。1909年12月、神戸のスラム街に住み、布教と貧民救済を始めた。労働運動、農民運動、社会運動で幅広く活躍。20年に出版した自伝的小説「死線を越えて」は、3部作計400万部のベストセラーとなった。他の著書に詩集「涙の二等分」、小説「一粒の麦」などがある。