書評−贖罪愛の実践が平和を実現する【クリスチャン新聞】

 賀川豊彦 幻の講演録 73年ぶりに邦訳 今も古びない「第3の道」

 満州事変(1931)から日中戦争(1937)へ向かうさなかの1936年、伝道者賀川豊彦(1888〜1960)が米国でセンセーションを巻き起こした講演録が、このほど73年の時を経て邦訳され、『友愛の政治経済学』(監修=野尻武敏、翻訳=加山久夫、石部公男)として出版された。原題は Brotherhood Economics キリスト教信仰に裏打ちされた「兄弟愛」の原理を、世界恐慌の余波に苦しむ時代に向かって示し、現実の社会において世界が進むべき道を説いた熱弁だ。そこから、様々な社会改良に取り組んだ賀川の眼差しが「背形平和」を見据えていたことが伝わる。
 本書の元になったのは賀川が1935〜36年、米国コルゲイト・ロチェスター神学校のラウシェンブッシュ基金の招きで4回にわたって行った「キリスト教的友愛と経済再建」と題した講演。当時すでに、賀川の名前と業績は世界で知られていた。英文の講演録が出版されると版を重ね、ドイツ語、スペイン語、中国語など17カ国語に翻訳されて25カ国で出版された。だが、なぜか日本では顧みられなかった。今年は賀川豊彦が神戸・新川のスラムで伝道と救貧活動に身を投じた献身から100年。その記念事業の一環として、賀川が創設した日本生活協同組合連合会が出版した。
 賀川は同書の序文冒頭で「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」というイエスの言葉を引き、次のような考えを述べている。「今日ほど、キリストの教えが挑戦を受けている時代はかつてなかった。もし教会が社会において愛を実践しようとするのであれば、その存在理由はあるだろう。私は、信条だけで世界を救い得るとは考えない。信条が重要でないと言うのではなく、信条や教条とともに、社会の贖罪愛の適用が必要なのである」
 実際に、賀川の「献身」の初めは救貧活動だったが、その後米国プリンストン大学への留学を終えて17年に帰国すると、活動の主軸は窮民への慈善活動から窮民を生み出す社会体制の変革運動に移っていく。そうした中で第1次世界大戦から第2次世界大戦に至る時期に労働運動、農民運動、協同組合運動、普通選挙平和運動などが展開されたと、監修者の野尻武敏神戸大学名誉教授は「まえがき」で指摘している。
 『友愛の政治経済学』で賀川は、科学技術が発達しながら世界が不安にさいなまれ、貧困にあえいでいる状態を「カオス」(混沌)と捉え、そこから抜け出す道はあるのかと問う。そして自分が歩んできた信仰と社会実践を証し、キリストと経済へと論を勧める。
 野尻氏も指摘するように、当時は大恐慌で自由資本主義が挫折し、代案として共産主義ファシズムが台頭してきた時代である。賀川はこの講演で、資本家の支配と搾取、資本の集中と格差の拡大をもたらした資本主義を厳しく退け、社会主義の側に立つことを明言する。しかし同時に、ソ連共産主義ファシズムも、中央管理の強制により人格を圧殺する点で長くは存続しないと見て、やはり厳しく退ける。そして、両社を乗り越える「第3の道」として提示したのが、兄弟愛を実践し助け合う協同組合主義の「友愛の経済」だった。
 最終章ではこの視点から戦争の原因を分析し、「友愛に基づく世界平和」を提唱。「経済活動のすべてを、贖罪愛の意識的行為によって浄化し合理化すること」を説き、経済活動の中にも神の理想を成就しようと努力するのでなければ、世界の平和は決して確立されないであろうと予告する。
 野尻氏は、この「贖罪愛の実践」こそが賀川の社会改革運動の核心であることを指摘。昨年来の米国発金融恐慌で資本主義の矛盾が露呈し、営利企業でも行政でもないボタンタリーな中間組織とその社会活動が注目されている現在、70年以上前の賀川のこの提言は今日的意味を失っていないと評価している。
 同書には、先頃開かれた野尻氏の出版記念講演「賀川豊彦の『友愛の政治経済学』とその現代的意義」、賀川の理論と実践を現在に生かしていく責務を語った日本生活協同組合連合会の山下俊史会長の挨拶、賀川豊彦の略年譜や事業展開図を収めた「発刊によせて」の小冊子が付いている。(クリスチャン新聞2009年8月16日3面から転載)