「賀川豊彦・人と業績」について

 「賀川豊彦・人と業績」という賀川を紹介する格好の冊子がある。松沢資料館の発行で編者は長男の純基氏である。この冊子はもともとは1960年、賀川をノーベル平和賞に推薦する目的で編集されたことは知られていない。現在の冊子の見出しは以下の通りであるが、当初は「ノーベル平和賞候補として賀川豊彦氏を推薦」という一文もあった。資料館の杉浦秀典氏にその部分のコピーをもらったので、ここに掲載する。
 見出し

 ノーベル平和賞候補として賀川豊彦氏を推薦
 神と人とに使えて50年、そのたゆみない歩みは、キリスト教の伝道、社会事業、労働運動、協同組合運動、農民運動などの分野に大きな開拓的役割をはたし、日本に新しい社会秩序と、人間としての自覚をあたえた。
 その稀にみる実践と体験は、国の内にも外にもひろく知られた。それ故、もとめられるままに、幾度海外に足跡を印したことであろう。謙虚な賀川氏の行動と先駆者としての発言は、国境をこえて如何なる民族にも共感をよびおこした。
 全世界の民族が、それぞれところを得て、繁栄することを願う賀川氏は、今も原子爆弾による悲惨な経験をもつ日本人こそ、戦争の絶滅をさけび、世界連邦結成の先頭にたつべきであることを訴えている。輝く歴史をもつノーベル平和賞が、賀川氏にあたえられることは、賀川氏を知る全世界の人々の祈願である。
 私どもは、アジア全地域の平和運動が活発に展開され、人類の幸福と席あの平和を弥増するために、賀川豊彦氏を1960年のノーベル平和賞候補として推薦する次第である。

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 ノーベル平和賞60年
 ノーベル平和賞は、戦争の悲惨事を緩和するために働く人に与えられるものであろうか、それとも平和論者を意味するものであろうか、と、毎年論争がつづけられているが、誰もはっきりしたことがわからない。
 平和賞は、創設以来60年、赤十字の関係者、法学者、平和運動家、社会事業家、国際連盟関係者、宗教家などに与えられてきた。それ故、広く、人類の幸福、世界平和に貢献した人が受賞すると解釈してよいであろう。
 太平洋戦争後の受賞者には、コーデル・ハル(1945年)、ジョン・R・モット(1946年)、ジョン。ボイド・オァ(1949年)、ラルフ・パンチ(1950年)、アルバートシュヴァイツアー(1952年)、ジョージ・マーシャル(1953年)などの人々がいる。
 アジア民族の中からノーベル平和賞
 「賀川豊彦氏にノーベル平和賞を」という声が具体化した最初は、1953年(昭和28)12月16日付で片山哲氏が推薦状を贈ったのであると思う。ついで1955年(昭和30)ノルウェーの国会議員が賀川氏を推薦して、このときは資格審査があったが、「該当者なし」とて受賞者はなかった。
 1957年(昭和32)、1959年(昭和34)にも世界各地から推薦状が送り出されたが、付属書類その他が不備のため正式に受理されなかった。
 1960年(昭和35)1月25日、ノーベル平和賞委員会へ賀川氏を推薦する資格のある、日本の国会議員と有識者片山哲、北村徳太郎、河上丈太郎杉山元治郎、田中耕太郎、東久邇稔彦、小崎道雄、天羽英二−によって推挙され、1月30日付でノルウェーノーベル平和賞委員会から、「推薦状を受理し、資格審査をする」との、公式通知があった。
 「賀川豊彦・人と業績」
 http://www.kagawa100.com/toyohiko/humanarchive.htm
 参考:ノーベル財団