北斗星(9月26日付) 【秋田魁新報】

 北斗星(9月26日付)
 「東京の本部に立派な胸像があるが、『生協の父』だけでなく、こんなにすごい人だったとは」。先ごろ秋田市であった賀川豊彦を紹介する講演と映画「死線を越えて」の上映後、県生活協同組合連合会の役員が閉会あいさつで打ち明けた
▼海外でシュバイツァーガンジーと並ぶ「20世紀の三大聖人」とされ、それにキリスト教社会運動家、という程度は当方も知っていた。だが、近代日本の希有(けう)な巨人ぶりを知るにつれ、同様に不明を恥じた
▼今回の催しは賀川(1888〜1960年)が21歳で古里の神戸の貧民街で始めた救済活動を起点とする「献身100年」の顕彰事業の一環。明治学院大名誉教授の加山久夫さんが講師を務めた
▼活動の多面性には驚くほかない。「大衆生活に即した政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつくものの大部分は賀川に源を発している」。大宅壮一はこう記す
 ▼世界国家を構想した平和運動ではノーベル平和賞に推された。ベストセラーの自伝小説「死線…」は「どうせ死ぬなら人のため尽くそう」と始めた救済活動など半生を描いた。十数カ国語に翻訳され、ノーベル文学賞の候補だったとも報じられたばかり
▼賀川は昭和初めにも本県を訪れた。間もなく医療組合論を実践する秋田医療利用組合が東京に次いで発足し、運動が全国に波及した。この医療利用組合を前身とするのが県厚生連の病院であり、賀川と本県のつながりはかなり深い。